留学内容
カリフォルニア大学ロサンゼルス校の循環器内科不整脈部門及びMDアンダーソンがんセンターの放射線腫瘍科で1ヶ月間ずつ臨床実習を行いました。
最終更新日:2017年10月24日 初回執筆日:2017年10月24日
語学力:
言語 | 留学前 | 留学後 | |
---|---|---|---|
英語 | 授業や会議の内容が理解でき、必要な発言ができるレベル<TOEFL iBT 105点> | → | 専門的な研究や会議において、議論や調整ができるレベル |
カリフォルニア大学ロサンゼルス校の循環器内科不整脈部門及びMDアンダーソンがんセンターの放射線腫瘍科で1ヶ月間ずつ臨床実習を行いました。
学部1年の時から、国際的なキャリアを描きたいと漠然と思っていました。私の大学では6年次に海外臨床実習の機会があり、多くの先輩方が米国をはじめ諸外国で実習されていたこと、米国医師国家試験合格を目指して低学年の頃から勉強してきたこと、将来は米国で臨床医として働きたいという夢があったことから、その第一歩として米国の臨床現場で勉強したいと思い、ほとんど迷いなく留学を決めました。
1. 医学知識、それ以外の能力(プレゼンテーションや語学、ユーモアを言う力など)で不足していることが明確化した。
2. 2人の指導医から良質な推薦状を頂けた。
3. 生涯を通じて繋がっていたいと思える大切な友人や指導医に出会えた。
積極的なコミュニケーション力
アメリカでは自分が何を目的に実習しているのか、何を学びたいのか発信しなければ存在が無に等しいので、今日はどんな症例が見たい、この手技を見たい、プレゼンテーションをさせてほしい、など積極的に上級医にコミュニケーションをとる力がついたと思います。
帰国後卒業試験や国家試験の勉強をしながら自分と向き合う時間が多くあり、初期研修2年後米国で臨床医として働くことに加え、医療行政に携わる道も考えています。何れにしても、国際社会全体に貢献できるスケールの大きい仕事をして、悔いのない人生にしたいと思います。
2017年
5月~
2017年
5月
カリフォルニア大学ロサンゼルス校の不整脈部門で実習させていただきました。主にカンファレンスや回診への参加、外来見学と患者さんへの問診を行っていました。不整脈センターであったため、アブレーションやペースメーカ挿入を目的にやって来る患者さんが大半であり、入院期間は数日という短期の方が多かったです。
また、指導医が(将来レジデンシー応募の際に業績になるようにとの計らいで)臨床研究の手伝いをさせて下さいました。心不全患者さん300人分のデータを収集する仕事でしたが、現地のカルテの多くに目を通すことができとても貴重な経験でした。
ロサンゼルスという土地柄裕福な患者さんが多く、自分が受けている医療に対する関心が高かったです。
また、3人のナースプラクティショナーが不整脈部門専属で働いており、日本の研修医レベル以上のスキルを持っていたことが衝撃でした。
学費:納入総額 - 円 |
住居費:月額 - 円 |
生活費:月額 - 円 |
学費:納入総額 - 円 |
住居費:月額 - 円 |
生活費:月額 - 円 |
2017年
5月~
2017年
6月
MDアンダーソンがんセンター放射線腫瘍科で実習させていただきました。コンサルテーション(他科からの紹介)がメインな診療科であったので、午前の外来に加え午後には外科や腫瘍内科から紹介された患者さんの診察に立ち会いました。また、外科・内科との合同カンファレンスも多く、全米のみならず世界中から集まってくる難しい症例に関して闊達な議論がされていました。放射線腫瘍科だけでも複数のグループがあり、私はその中でも胸部グループと頭頸部グループで実習しましたが、興味のある分野のカンファレンスにはその他の診療科やグループのものであっても積極的に参加するようにしました。日本人医師も多く研究や臨床をされており、その方々からお話を聞けたのも収穫でした。
学費:納入総額 - 円 |
住居費:月額 - 円 |
生活費:月額 - 円 |
学費:納入総額 - 円 |
住居費:月額 - 円 |
生活費:月額 - 円 |
1.カリフォルニア大学でお世話になった指導医
お忙しい中私が暇を持て余さないように実習の機会や課題を考えてくださったボス。仕事に厳しい人でしたが、時折垣間見える優しさが彼の人望の厚さを証明していました。
実習の最終日のこと。「米国で臨床の仕事を始めることになった暁には、必ずやこの部屋を再訪し先生にご挨拶に伺います」と私が言うと、「ロサンゼルスに戻っておいで。良いキャリアを築けますように」と激励を頂きました。最後に熱い握手を交わしたのは忘れられない思い出です。
今でも辛い時には彼の仕事ぶりを思い出し、自分自身を鼓舞しています。
2. ブラジル人のルームメイト
ヒューストンでルームシェアしていたのはブラジルからの医学生。溌剌としたラテンの明るさと聡明さと美貌を兼ね備えた「完璧女子」でした。
彼女と彼女の後輩と3人でテキサスと都市から都市へ自動車で旅行し、ブラジルの手料理をご馳走になり、文化や医療制度について語り合った1ヶ月は最高の思い出として今も鮮明に残っています。
彼女がブラジルでの女性の活躍や社会進出の現状、そこに至るまでの彼女達の努力を語ってくれ、日本人女性ももっと頑張らなければ!と強く思いました。
友人達とメトロに乗ろうとしたある日。
券売機が現金もクレジットカードも受け付けない...切符が買えない!
米国人の多くは難なく切符を買っていたのに、再度チャレンジしても私達のクレカはacceptされません。
仕方がないので次の駅で途中下車して違う機械で切符を買うことにしました。
電車を待っていたら、ある女性が3枚の切符を持って私たちに差し出してこう言うのです。
「私のクレカは使えたから、これあなたたちの分。お金はいらないから貰ってね」
見知らぬ人から頂いた無条件の優しさ。
もし東京の地下鉄で同じように困っている人がいたら、私は同様の優しさを迷いなく与えられるだろうか?そう自問し、自分の未熟さを見た気がしました。
世界には小さな優しさが溢れており、それらの積み重ねで社会は回っているんだ。
そう実感できた、本当に素敵な体験でした。
私が滞在したロサンゼルスとヒューストンは米国の中でもメキシコとの国境に近く、ヒスパニック系の方が多い地域でした。食事に関しては病院の食堂、街のレストランや屋台、スーパーの食品売り場などどこを見てもメキシカン料理が豊富であり、日本ではあまりお目にかからない料理を楽しんでいました。
しかし、留学して1ヶ月が経ちヒューストンに滞在する頃になるとスパイスの効いたメキシカンに少しずつ飽きてきて、しかもロサンゼルスに比べ美味しいアジア料理が手に入りにくかったこともあり、日本食を自炊するようになりました。最短のスーパーマーケットが2km先にあったことから徒歩での買出しは大変でしたが、日本食を作るようになってからは更に元気が出て、忙しい実習を乗り切ることができました。
アメリカ合衆国への留学ガイドを見る