留学大図鑑 留学大図鑑

まさ

出身・在学高校:
舞鶴工業高等専門学校
出身・在学校:
舞鶴工業高等専門学校
出身・在学学部学科:
機械工学科
在籍企業・組織:
学生団体Smile


最終更新日:2025年06月02日 初回執筆日:2025年06月02日

半導体産業の現在と未来を学ぶ

留学テーマ・分野:
短期留学(3か月以内、語学・ボランティアなど各種研修含む)・語学留学
留学先(所属・専攻 / 国 / 都市):
  • 淡江大学,ECサンフランシスコ
  • 台湾・アメリカ合衆国
  • 台北・新竹・台南・サンフランシスコ
留学期間:
5週間(台湾)、2週間(アメリカ)
総費用:
1,150,000円 ・ 奨学金あり
  • トビタテ!留学JAPAN「日本代表/新・日本代表プログラム」 450,000円
  • 高校独自のもの 200,000円

語学力:

言語 留学前 留学後
中国語 挨拶など基本的な会話ができるレベル 生活に困らない程度の日常会話ができるレベル

留学内容

現在、半導体産業はアメリカ、日本、台湾が大きなシェアを占めている。
今回の留学では、近年世界の半導体産業を牽引する台湾では関連企業を訪問し、業務細分化が進む業界全体の現状と将来について学んだ。半導体関連企業の中でも総合開発製造(IDM)や、ファブレス(設計・開発企業)のトップを走り続けるアメリカ(サンフランシスコ・シリコンバレー)では、なぜこのエリアからイノベーションが創出され続けるのかを探求し、現地の起業家から独創的なマインドを学んだ。サンフランシスコでは、応募時“シリコンバレー起業研修ツアー”に参加し、沢山の起業家から話を伺う予定であったが、会社が倒産していた為、語学学校に通いながら休日や放課後にできる探求活動を行った。

留学の動機

応募時、舞鶴高専で寮に住みながら機械工学を専攻する傍ら、舞鶴市長、市議、地元産業の方々との交流会に参加し、地方都市が持つ可能性や問題について多くのことを学んでいた。台湾旅行をきっかけに”世界の中での日本”を意識するようになり、“半導体”に興味を持った。学校の留学プログラムで台湾に留学し、その経験をもとに”地方と世界をつなぐ技術者”として、地方都市・地方産業の活性化に貢献したいと思い応募した。

成果

台湾では多くの企業を訪問し、イオン注入工程の見学、クリーンルーム内で検査の観察など、一つ一つの探求が濃く貴重な経験であった。最新技術、日本との違い、今後の進路等、大満足な探求活動ができた。サンフランシスコでは、台湾ほど濃い探求ではなかったものの、スタートアップに関する十分な知識を得た。また語学学校では、将来、コミュニケーションを円滑に行う為に、中国語、英語の会話スキルを身につけることができた。

ついた力

探求力

半導体産業に興味を持ち自力で探求したが、機密情報ばかりで全容が見えない産業であり、装置などの具体的な動画もあまり公開されていなかった。留学中、多くの企業での社員さんとの対話、見学を通して、不透明だった産業の一部を見ることができ、好奇心がより一層強くなった。

今後の展望

将来は、”半導体の技術者”かつ”地方と世界をつなぐ技術者”として活躍したい。そのために、半導体の知識を培い、多くの経験を積みたい。世界の動向をつかむために、半導体のイベントに参加する予定である。

留学スケジュール

2024年
8月~
2024年
9月

台湾(台北市)

3週間淡江大学の夏季語学集中コースを受講し、学内の寮に住みながら友人達と共に中国語の会話スキルを磨いた。毎日3~4.5時間授業を受け、その後文化授業や歌の練習などのアクティビティをした。 プログラムの8割が日本人だったが、寮には別のプログラムで来ているヨーロッパ系の子達も生活していた。
週末、新竹市にある知り合いの半導体製造企業を訪問し、製造工程を見学。夢に見た製造工程の見学でとても緊張していた。普段学校で使うマシニングなどの機械に比べ、何百倍の金額の機械だと知り、度肝を抜かれたのを覚えている。ネットで調べてもイラストの説明ばかりでイメージがつかなかったので、”百聞は一見にしかず”とはまさにこの事だと感じた。
語学学校が終わった後も台北に滞在しながら、台湾の新竹市に支社を持つ大手日系企業を3社訪問した。お声掛けくださった3社とも、とても丁寧に説明してくださり、オフィス内をすべて見学させてもらえた。案内してくださる方が社長さんだったり、自分一人のために出張してくださる方もおられたり、すごい経験をしているなと強く実感した。企業の重役の方と食事したり、サイエンスパークに支社を置く企業ではパーク内を案内してくださったり、オフィス内にクリーンルームを持つ企業では消毒された衣服に着替え、試運転してくださった。
その後台南では、台湾人の友人の大学の先輩でTSMCに就職された方にお話しを伺うことができた。嘉義で一番有名なレストランで食事しながら、業務内容など、残業時間など、気になっていた現場で働く人の“生の声”を聴くことができた。レベルの高い英語での会話だったが、友人のサポートもあり、将来に向けた今後の進路が明確になった。
台湾での留学は5週間とは思えないほど一瞬で過ぎ去った。とても濃い探求活動ができ、語学学校の友人とも沢山遊びに行けので、大満足な留学であった。

費用詳細

学費:納入総額

140,000 円

住居費:月額

200,000 円

生活費:月額

145,000 円

項目:交通費

60,000 円

訪問した新竹市サイエンスパーク
TSMCの社員さんと台湾人の友人との食事
語学学校の友人との食事
費用詳細

学費:納入総額

140,000 円

住居費:月額

200,000 円

生活費:月額

145,000 円

項目:交通費

60,000 円

2024年
9月~
2024年
9月

アメリカ合衆国(サンフランシスコ)

サンフランシスコでは2週間、市街地のど真ん中にあるECサンフランシスコという語学学校に通った。最初の一週間は同じ語学学校に高校9期のあお君が在籍しており、放課後いろんなところに案内してくれた。比較的安価な台湾と比べ、すべてが高額なアメリカの物価に怯え、ハンバーガーばかり食べていた。彼とは、探求テーマがすごく似通っていたので、ほとんどの探求活動を共にした。
朝早く電車に乗り込んでスタンフォード大学に行き、学生さんに一日中インタビューして回った。カルフォルニア大学バークレー校でも、同様な活動を行った。
他のトビタテ生で街頭インタビューした子たちは、声をかけたほとんどの人が回答してくれないと、悩み、諦める子達が沢山いた。しかし、我々が声をかけた学生さんはとても協力的で、ほとんどの方が足を止め意見を交換してくた。特に、スタンフォード大学のDスクールを訪問し、起業家の方々から体験談をうかがった事が一番印象に残っている。
2週目は語学学校の子たちと仲良くなり、金銭感覚もつかめてきたので、レストランで食事したり、BARでソフドリ片手にフットボール観戦したりするようになった。パスタ一品が3000円する生活に慣れず、明日にはきっと円高になっているだろうと毎日願っていた。週末はタクシーをチャーターし、シリコンバレーの企業をめぐった。台湾のように社員さんと話せる機会には巡り合えなかったが、念願のIntel,Qualcomm, NVIDIA,apple,Googleに行くことができた。
サンフランシスコでは、台湾ほど濃い留学ではなかったものの、すべてが良い経験であった。

費用詳細

学費:納入総額

140,000 円

住居費:月額

140,000 円

生活費:月額

105,000 円

項目:交通費(タクシーチャーターを含む)

70,000 円

カルフォルニア大学Dスクール訪問
シリコンバレー起業見学
高校9期のあお君
費用詳細

学費:納入総額

140,000 円

住居費:月額

140,000 円

生活費:月額

105,000 円

項目:交通費(タクシーチャーターを含む)

70,000 円

スペシャルエピソード

留学中に、自分を勇気づけてくれたモノ・コト

僕の留学は、毎週のようにハプニングに見舞われた。特に台湾では、3回目の訪台にも関わらず想像もできない出来事の連発で、落ち着くことができなかった。アメリカでは生活に慣れず、毎日のように日本に帰りたいと思っていた。
幸い、僕には事前研修でとても波長が合い、仲良くなった同期の友達が何人かいた。それらのトビタテ生は、同様に初めての留学でトラブルに見舞われている子ばかりだった。同じ境遇にいるトビタテ生と起こったことを共有する時間は、地元の子達と電話するのとは違い、とても安心感があった。
留学中、探求活動をすべて完了することができたのは、トビタテ生との近況報告電話のおかげだと思う。

トビタテ生と帰国後スケートしに行ったときの写真
帰国後食事会

高1でやっとbe動詞と一般動詞の違いを理解したまさが、なぜサンフランシスコに⁉

  • 語学力 : 英語

僕は、中学受験をして関西有数の進学校に通った。地元の小学校では、自身を過大評価していた。しかし中学校では、自分より優秀な生徒ばかり。中学校に入ることがゴールだと思っていた僕は、今までの反動で勉強しなくなった。そして、始まる“英語”という教科。中学受験で身につけた知識がある教科に比べ初めて習う科目“英語”は、授業を聞いていない僕には何もわからなかった。そして高校受験の時に初めて英語の勉強を始めたものの、受験ではほかの科目で得点を稼ぎ合格。英語がコンプレックスになった。
一生英語が苦手なまま生きていくのかと思っていた時に、転機が訪れた。高2の頃の台湾旅行である。現地の大学生と交流する機会があったが、英語が話せない僕はいつも通り姉が翻訳してくれるのを待とうと思っていた。しかし学生は、知っている日本語や簡単な英語や翻訳機を使って一生懸命伝えてくれようとしていました。僕は、知っているアニメや行ったことがある日本の観光スポットなどを聞くうちに、つたない会話スキルでも意思疎通できることに気が付いた。これは、“英語は勉強”ではなく“会話するための道具”だと気が付いた瞬間であり、台湾が好きになった瞬間であった。
親の職業上、外国人留学生と交流する機会に恵まれていたので、帰国後は留学生に京都の案内をする役を引き受けるようになった。初めは、expensiveかCheapぐらいしか話せなかったが、半年もすれば知っている単語を詰め込んで日常会話ができるようになった。
また台湾に住むために中国語を始めた。Duolingoというアプリで簡単な中国語を毎日30分ずつ8か月続け、コンプリートした頃には簡単な日常会話ができるようになっていた。
今もなお学校の英語のテストでは低い点数をたたき出しているが、会話することが好きになり、会うたびに実感する成長をモチベに勉強している。

台湾旅行でお世話になった方々
タイ人の友人
台湾人の友人

これから留学へ行く人へのメッセージ

僕が交流してきたトビタテ生は大きな夢と行動力を持っていて、将来あらゆる分野で日本をけん引する子達であり、交流する度自分の小ささを痛感する。”自分の核”を持つ子は、目標に向けてあらゆる努力を惜しまない。トビタテでなくても、”探求留学“には多くの意義があると思う。”トビタテ”には”大口をたたける環境”と”千人千色のコミュニティー”があるので、是非トビタテで留学してもらいたい。