留学内容
スイスはチューリッヒにあるスイス連邦工科大学チューリッヒ校(ETH Zürich)の建築歴史・理論研究所(gta)に客員研究員として一年間(トビタテでの支援は半年)滞在しました。日本では博士課程をやっていて、博論でも扱っている篠原一男という建築家が海外で行った出版、展覧会と通じた作品発表について、ヨーロッパ各国を回って調査・研究をやっていました。
最終更新日:2023年09月22日 初回執筆日:2023年09月22日
語学力:
言語 | 留学前 | 留学後 | |
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英語 | 授業や会議の内容が理解でき、必要な発言ができるレベル | → | 専門的な研究や会議において、議論や調整ができるレベル |
スイスはチューリッヒにあるスイス連邦工科大学チューリッヒ校(ETH Zürich)の建築歴史・理論研究所(gta)に客員研究員として一年間(トビタテでの支援は半年)滞在しました。日本では博士課程をやっていて、博論でも扱っている篠原一男という建築家が海外で行った出版、展覧会と通じた作品発表について、ヨーロッパ各国を回って調査・研究をやっていました。
建築のデザインや設計を専門としていると、海外での留学やインターンはかなり一般的です。自分もご多分に洩れず、海外の尊敬する建築家のもとで建築設計の実務経験を積みたいと考えてトビタテに採用されたのですが、コロナ禍で留学を開始できず、当面留学に行けないなら、と博士課程に進学してしまい、そうこうしているうちに渡航制限が緩くなり、ちょうどやっていた研究内容に関連して海外での調査を行う計画に変更しました。
所属先の研究所は建築史や理論を扱うところだったので、建築ではなく美術史や社会学を専門とする研究者が多くいました。これまで学部からずっと同じ学科、研究室に所属していたので、違う国の、さらに分野も少し異なる場所での研究活動はカルチャーショックでした。そんな同僚たちに囲まれて、インタビューや一次資料の調査など人文科学の研究手法を学び、自身の研究に活用することができました。
転んでもタダでは起きない力
コロナ禍でインターンに行けなかったのを2年間待って研究留学にしたのもそうですが、トラブルがあってもその中で次にできることを考える癖がつきました。例えば、チューリッヒは空室率が極端に小さく、渡航してから2週間家がなかったのですが、部屋探しをしながら郊外の民泊を渡り歩くなかで、都心に暮らしていては知ることのないヨーロッパの郊外に住む移民の暮らしを垣間見て、なかなか勉強になりました。
留学を通じて、自分の研究内容を欧米の建築史・意匠学の文脈に位置付ける、ということを試みていました。今後は博士号を取得して、さらにこれからの日本の建築学に少しでも貢献できればな、と思うとともに、研究を通じて得た認識や知見をもとに、建築設計による実践も展開していきたいです。
2022年
9月~
2023年
3月
2022年の9月より、ETH Zürichのgtaで客員研究員としてチューリッヒに滞在していました。一年間の契約だったので、トビタテの支援期限が切れる2023年3月に一時帰国し、その後2023年8月までいました。客員研究員というのは授業履修や学費を払う必要もなく(給料も出ませんでしたが)、自分の場合は一人で自分の研究をひたすら進めていました。
具体的な調査内容としては、日本では入手の難しい海外雑誌、書籍などの出版物を確認、収集する文献調査、そして欧州各地で開催された展覧会の会場や主催機関を訪問して当時の文献を探索するアーカイブ調査、また当時の作品発表に関わった関係者へのインタビュー調査を行いました。
特に、gtaを含む5ヶ所のアーカイブ調査、生前の篠原を知る建築家や研究者など5名へのインタビュー調査の結果、篠原が1980年代から行った一連の展覧会について、開催期間や詳細な場所、どのように開催されたのか、どの機関がオーガナイズしたのか、といった詳細を明らかにすることができました。
学費:納入総額 - 円 |
住居費:月額 90,000 円 |
生活費:月額 50,000 円 |
項目:調査旅行にかかった費用 1,000,000 円 |
学費:納入総額 - 円 |
住居費:月額 90,000 円 |
生活費:月額 50,000 円 |
項目:調査旅行にかかった費用 1,000,000 円 |
客員研究員という単位取得はできない身分だったのですが、日本で博士課程をやっているのもあって、ETHの博士学生向けのセミナー授業を聴講させてもらいました。講師の人がアメリカの美術史分野出身の人で、欧米の歴史研究の最先端に触れる機会になりました。
文献購読や研究構想発表などの演習を行っていく中で、印象的だった言葉が二つあります。まず「歴史家はもう建築家に過去の事実を伝えるだけの存在ではない」ということ、そして「自分のナラティブを組み立てなさい」ということです。これらはどちらかといえば同じことの表裏ですが、これまで日本でも建築史分野にいたわけでもない自分にとっては、歴史研究が現在や未来に対する実践として位置付けられている、という姿勢に衝撃を受けました。と同時に、特にアメリカでポスト・トゥルースと言われるような状況の中でそうした研究が行われているという彼我の政治的状況の違い、またそのまま日本にこうした研究を輸入することはできないだろうなとも思いつつ、今後の研究の糧となる体験でした。
コロナ禍で休学したり、研究室での建築設計に携わったり、修士課程だったのが博士課程に進学したり、大幅に計画変更をしたり、なんだかんだあってトビタテ採用決定から留学終了まで3年間もかかってしまいました。もともとの留学計画が南米チリの建築設計事務所でのインターンシップだったのですが、最終的に実現したのはスイスでの研究留学、ほとんど共通する項目がありません。変更申請は巷間言われるほど大変に感じなかったのですが、それは留学するまで、もしくは留学後の今でもずっと、自分がどういう進路で何をしようかひたすら考えていたからではないか、と思います。修士課程の学生にとって博士課程に進学する、ということはいわゆる就活をしないという選択でもあります。今後何をやっていくか思いを巡らしていく中で、インターンも研究留学も同じ在外経験として捉えられるかもしれないな、と考えたことが留学を諦めなかった(諦められなかった)理由かもしれません。
スイスはアルプスの山奥にある小さな国です。冬は暗く、物価も高く、自分が生まれ育った東京と比べるとチューリッヒは本当に小さな街で、治安がかなりいいので暮らしやすくはありますが、都市生活はまるで違うものでした。自分が住んでいたフラットはチューリッヒ市の南の端に位置する、100年前に開発されたやや古い住宅地で、家の目の前が墓地、その奥に自然保護区が広がっているような静かな場所でした。チューリッヒ湖も近く、夏の間はひたすら泳ぎに行っていました。もちろん街中に泳げる水辺がある、というのはなかなかなことで、歴史的にも水質保全や安全管理といったさまざまな議論の上に成り立っている文化だそうです。チューリッヒだけでなく、バーゼル、ローザンヌ、ベルンと色々な場所で泳げる川や湖があります。夏のスイスに来られる方はまず、トランクに水着を放り込みましょう。
自分がやっていた客員研究員は、交換留学と違って労働登録が必要でした。大学がほとんど全ての手続きをサポートしてやってくれたので苦労した、というほどでもなかったのですが、居住許可証(VISAに相当します)を申請するのに滞在中の生活費が十分にあることを証明する必要がありました。月あたり2000フランの収入があることを証明しなければならず、当時のレートで約30万円でしたが、当然そんな収入はなく途方に暮れた記憶があります。結局、収入でなくともその分の預金があれば大丈夫で、ほどほどに貯金していた数年前の自分に助けられました。スイスに行こうと考えている人はいますぐ貯金を始めることをお勧めします。
元々の計画では南米チリで一年間のインターンの計画だったので、支給額も最低水準の月額、さらに渡航時期延期に伴って留学開始後半年でトビタテの支援期限を迎えることとなり、後半の半年間は別の財源を探す必要がありました。ここまで貧乏だとスイスで生活保護を申請した方が裕福なのでは、、と考えたこともありましたが、大学で採用されている博士学生支援プログラムでの旅費支援や研究助成金など、幸運にも色々と採用いただくことができ、無事に一年間の滞在を完遂することができました。奨学金や研究助成の申請期限が重なってしまい、旅行中に必死で申請書を書き上げたのも今となってはいい思い出です。申請や採用にあたって、指導教員の先生をはじめ大学の事務局の方々からのきめ細やかなサポートがあったことに、この場をお借りして感謝の念を表したいと思います。
客員研究員は一般的な交換留学とは異なり、日本での所属大学を経由せずに受け入れ先の教授、研究所に直接アプライ、コンタクトをとることになりました。自分の場合は、ちょうど研究での興味が近い研究者が、日本での所属学科の教授と親しい方だったので、その教授にご紹介いただいてスムースに採用へと至りましたが、自分と同じ研究所への留学を考えていた知人で、その教授を介さずにアプライしようとして、研究所とのコミュニケーションが十分に取れなかったことから、採用プロセスの途中で結局留学を断念してしまったということがありました。使えるコネは最大限使いましょう。