留学内容
私の留学の目的(テーマ)は「『世界の子どもたちが思いっきり学べる社会』を実現する第一歩を踏みだす」でした。
そのために、①フィリピン大学で経済学・コミュニティ開発学を学ぶ、②ストリートチルドレンの支援を行っている現地NGOでのインターンシップ、③現地の小学生が集まるコミュニティでのボランティア、④国際機関「アジア開発銀行マニラ本部」の訪問の4つの活動を行いました。
最終更新日:2025年09月10日 初回執筆日:2025年09月10日
語学力:
言語 | 留学前 | 留学後 | |
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英語 | 授業や会議の内容が理解でき、必要な発言ができるレベル | → | 専門的な研究や会議において、議論や調整ができるレベル |
私の留学の目的(テーマ)は「『世界の子どもたちが思いっきり学べる社会』を実現する第一歩を踏みだす」でした。
そのために、①フィリピン大学で経済学・コミュニティ開発学を学ぶ、②ストリートチルドレンの支援を行っている現地NGOでのインターンシップ、③現地の小学生が集まるコミュニティでのボランティア、④国際機関「アジア開発銀行マニラ本部」の訪問の4つの活動を行いました。
大学1年次に大学のプログラムのフィリピン短期研修に参加しストリートチルドレンに出会ったことがきっかけでした。豪遊をする子供がいる一方で、手作りの飾りを持って「買ってくれないか」と聞いてくるやせ細った男の子、街灯の下で勉強をしながらコップを置いてコインを集めている女の子に出会い、現地の経済格差を目の当たりにし衝撃を受け「子供たちが思いっきり学べる社会にしたい」と思うようになりました。
フィリピン大学の開発経済学やコミュニティ開発学等の貧困問題に関わる学びとボランティア、インターンでの子どもたちへの教育支援を通して、机上での学びと実践の両方を経験することができました。また、異国の地で10か月生活したことで様々な価値観の人たちと出会い、そこから自身の価値観や性格を知ったりさらに新たな価値観が加わったりしました。
モチベーションを上げて再スタートを切る力
留学生活では、何のために留学に来たのか分からなくなったり、自分に自信がなくなったり、「がんばろう!」と奮起したり…日本にいたときよりもモチベーションが上下し、それをコントロールすることが必要でした。その度に「自分はどうして留学することを決意したんだっけ?」と原点に立ち返って留学に対する思いを強くし、挑戦し続けました。
引き続き「途上国の子供たちが思いっきり学べる社会」を実現する人材を目指したいと考えています。また、フィリピン大学での開発経済学の授業を通して「教育・貧困」に加えて「健康・衛生」にも興味を持ったため「医療経済学」を学んでみたいと考えています。
2024年
8月~
2025年
6月
フィリピン大学で第1セメスターは①コミュニティー開発学、②国際経済学、③タガログ語、④テニスを履修し、第2セメスターでは①開発経済学、②公共経済学、③タガログ語を履修しました。
特にコミュニティ開発学と開発経済学ではグループでのプレゼンテーションが多く現地の優秀な学生と共に成果物を作りました。またテニスの授業では現地の学生とチームで戦い、団体戦で優勝をしました。
10ヶ月の留学期間中は大学内の寮で3人部屋で暮らしました。エアコンなし水シャワーで留学前は少し心配していましたが、すぐに慣れることができました。
学費:納入総額 - 円 |
住居費:月額 8,000 円 |
生活費:月額 50,000 円 |
項目: 58,000 円 |
学費:納入総額 - 円 |
住居費:月額 8,000 円 |
生活費:月額 50,000 円 |
項目: 58,000 円 |
2025年
1月~
2025年
3月
フィリピン大学で授業を受けながら学びたくても金銭的に学ぶことが難しい子供たちのために作られたフリースクールでボランティアをしました。
フリースクールがある地域は昔ゴミ山が存在し、今もゴミを売って生計を立てている人がいました。
フリースクールでは小学生低学年くらいの子供たちが集まり、私は先生のアシスタントとして子供たちの学びのサポートをしました。子供達はタガログ語を話し英語が話せないため、大学のタガログ語の授業で学んだ言葉を使ったりジェスチャーを使って子供たちとコミュニケーションをとりました。
学費:納入総額 - 円 |
住居費:月額 - 円 |
生活費:月額 - 円 |
学費:納入総額 - 円 |
住居費:月額 - 円 |
生活費:月額 - 円 |
2025年
3月~
2025年
6月
フィリピン留学中ストリートチルドレンへの学びの機会提供実現のための方法や仕組みを学ぶために、現地のNGO事務所で3か月間子供に授業行いました。私だからできることを通して子どもやNGOに貢献したいと思い、他大学の三味線を弾くことのできる友人に声をかけて三味線教室を開きました。子供に三味線の鑑賞・演奏体験、演奏に合わせて盆踊りを踊ることの3つの経験をしてもらい、人を巻き込むという自身の強みを生かして貢献することができました。
学費:納入総額 - 円 |
住居費:月額 - 円 |
生活費:月額 - 円 |
学費:納入総額 - 円 |
住居費:月額 - 円 |
生活費:月額 - 円 |
1泊2日で授業のフィールドワークとして、ジープニーというフィリピンの乗り合いバスのような乗り物に3時間乗って農村に行きました。クラスメイトに通訳をしてもらいながらタガログ語でインタビューを行いました。ホームステイ先では、お風呂もトイレも井戸水を桶ですくって入るタイプで自身にとって初挑戦。シングルベットに3人で寝るのも初挑戦。夜中に両サイドから腕や足がとんで来て全く寝れませんでした。次の日も朝5時集合で活動が始まりました。しかし、頭痛がひどくなりすぐに休むことに。熱も出てきてずっと横になっていました。
体調を崩した私にさらなる試練が待ち構えていました。ガソリンがなくなったり、車体が熱くなりすぎたりしてジープニーが3回止まったのです。少し熱中症っぽい症状も出始めており、止まるたびにしんどすぎて心が折れそうになりました。最終的にハイウェイのど真ん中でジープニーが止まってしまい、通りすがりの違うジープニーに乗り換えなんとか帰ることができました。
その日の夜、熱が39.1度まで上がり、病院で全身性ウイルス性疾患と診断されました。色んなウイルスが入っているようでした。自分にとって辛いことがほとんどでしたが、1人だったら絶対にできない貴重な体験をたくさんすることができたので、すごくありがたいなと思いました。またクラスメイトが頭痛薬をくれたりして気にかけてくれあたたかい気持ちになりました。
私が留学していたマニラにはたくさんの日本料理のチェーン店や日本食レストランがありました。日本食が急に食べたくなったときや体調を崩して食べ慣れたものが食べたいときに私は、うどん、ラーメン、とんかつ、お好み焼き、親子丼など様々な日本料理を食べました。長期間のフィリピンでの生活で日本食は心の支えになっていたと思います。