留学内容
国立天文台の受託院生として、チリ・アタカマ砂漠の標高5000mにある世界最大の電波干渉計ALMA望遠鏡の性能評価に携わるために、首都サンティアゴにある観測所オフィスにて、偏波観測のコミッショニングチームの一員として約1年間研究を行った。
研究以外の生活ではチリ人家庭にホームステイし、日本のほぼ真裏に位置するチリの全く異なったり、似ていたりする、文化・習慣を肌で感じてきたとともにその歴史を学んだ。
最終更新日:2020年01月10日 初回執筆日:2020年01月10日
語学力:
言語 | 留学前 | 留学後 | |
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スペイン語 | 挨拶など基本的な会話ができるレベル | → | 生活に困らない程度の日常会話ができるレベル |
国立天文台の受託院生として、チリ・アタカマ砂漠の標高5000mにある世界最大の電波干渉計ALMA望遠鏡の性能評価に携わるために、首都サンティアゴにある観測所オフィスにて、偏波観測のコミッショニングチームの一員として約1年間研究を行った。
研究以外の生活ではチリ人家庭にホームステイし、日本のほぼ真裏に位置するチリの全く異なったり、似ていたりする、文化・習慣を肌で感じてきたとともにその歴史を学んだ。
留学の動機として、私は将来グローバルに働きたいという思いがあるので、その土台として長期間海外での生活を体験してみたいと思ったこと、また自分の研究で使っているデータを提供する望遠鏡のシステムや仕組みについて現地でさらに詳しく学びたいと思ったことにある。
所属させてもらったチーム、観測所には世界中からきた研究者がおり、英語でのコミュニケーションはもちろん必須であること、そして元々専門としていた分野から少し離れた研究を行なうということで新しく学ぶことが多く苦労した。最終的には望遠鏡性能向上のまとまった1つの結果も得られ、成果発表のためコロキウムとしてオフィスで発表を行った。
問題解決能力
研究の休みを利用してチリ国内外に旅行した。特に印象的だったのはブラジル人の友人と行ったペルーのクスコ旅行で、意見の違いから目的地にたどり着けるか問題になった。そういう状況で、やはり世界共通なのは論理立てて自分の意見はっきり説明する力だと感じた同時に、話し合いで最善の策を考え解決できたことは大きかった。
南米という、遠い国々と一括りにされがちだが、それぞれ国によって文化も歴史も異なる。その南米の中のチリのアタカマ砂漠という場所で世界的に大きな天文学のプロジェクトが行われている。そういった、日本にいては中々感じることのできない地球の裏側を、基礎研究の大切さを多くの人に知ってもらえるよう発信していきたい。
2018年
10月~
2019年
8月
国立天文台の受託院生として、チリ・アタカマ砂漠の標高5000mにある世界最大の電波干渉計ALMA望遠鏡の性能評価に携わるために、首都サンティアゴにある観測所オフィスにて、偏波観測のコミッショニングチームの一員として約1年間研究を行った。
研究以外の生活ではチリ人家庭にホームステイし、日本のほぼ真裏に位置するチリの全く異なったり、似ていたりする、文化・習慣を肌で感じてきたとともにその歴史を学んだ。
学費:納入総額 - 円 |
住居費:月額 - 円 |
生活費:月額 - 円 |
学費:納入総額 - 円 |
住居費:月額 - 円 |
生活費:月額 - 円 |
約1年間、友人だったチリ人の家庭にお世話になった。突然日本から来た私を温かく歓迎してくれ、本当の家族のように接してくれた。家族にはスペイン語を教えてもらったり、日本やチリの違いを話しあったり、研究での悩みを聞いてもらったり、素敵な毎日を過ごすことができたとともに、特に仲良くなったホストブラザーとは、共通の友人と旅行に行ったり、時には喧嘩したり、異国の地に新しい兄弟・家族ができた。
南米と言われると”危ない”・”殺人率が高い”とよく言われ、渡航の際も多くの人が心配してくれた。
もちろん場所にもより、日本に比べると危ないし、むしろ日本ほど安全な国はほとんど無いわけで私自身も行く前は相当緊張していた。だが実際に現地に行けば毎日身の危険に怯えるような生活は全くなく、スリに気をつける、夜中は一人で絶対に歩かないなど、海外に行くときの心構えを持っていればチリでの生活は全然問題ない。
研究留学で現地での収入はなかったので、奨学金でできるだけ生活できる方法を考えた。シェアハウスなどといった方法もあったが、運よくチリ人の友人がいたのでその家族の家にホームステイをさせて貰った。ホームステイの一番大きなメリットとしては、「チリの文化・習慣を直に体験できること」で刺激的な毎日を過ごすことができた。
チリの公用語はスペイン語である。だが南米とスペインのスペイン語は少し異なる上に、チリのスペイン語は先住民との言葉が混ざっていることもあり、チリ弁と言われるほど特殊だった。その違いすら最初は分からずスペイン語がゼロの状態で渡航したので、英語が通じにくいチリでは買い物すら苦労したが、カタコトレベルではあるが日常のコミュニケーションが取れるようになった。