留学内容
日本で淡水貝類(以下貝類)の糞や粘液がイネの生育向上に寄与することを発見しました。これは環境保全型水稲際栽培と相性が良く、持続的な農業生産に活用できます。貝類は世界中に多様な種がおり、インドネシアもその一つです。そこで現地の大学に在籍しながら貝類の調査を実施しました。加えて、環境保全型農業への意識や実際の農業技術を調査するために農家ステイを実施しました。現地人と交流し文化を学ぶとともに、自己を見つめなおすことを目的としました。
最終更新日:2020年12月22日 初回執筆日:2020年12月22日
語学力:
言語 | 留学前 | 留学後 | |
---|---|---|---|
英語 | 生活に困らない程度の日常会話ができるレベル | → | 授業や会議の内容が理解でき、必要な発言ができるレベル |
日本で淡水貝類(以下貝類)の糞や粘液がイネの生育向上に寄与することを発見しました。これは環境保全型水稲際栽培と相性が良く、持続的な農業生産に活用できます。貝類は世界中に多様な種がおり、インドネシアもその一つです。そこで現地の大学に在籍しながら貝類の調査を実施しました。加えて、環境保全型農業への意識や実際の農業技術を調査するために農家ステイを実施しました。現地人と交流し文化を学ぶとともに、自己を見つめなおすことを目的としました。
私の所属研究室は留学生が多く日常生活を英語で送る環境でした。そのため、留学に対するハードルは低めでした。当時は研究に惹かれ始めていた時期であり、ちょうどその時に本プログラムを知りました。海外で単身生活しながらの研究活動という未知なることにワクワクしました。また、Youtubeで先輩方の活躍を拝聴し一層その気持ちが強くなり、応募に至りました。
研究では100以上の圃場で貝類の分布調査を行いました。山間の村では在来種(絶滅危惧)が生息する一方で、市街地ではイネを加害する外来種が優占することが分かりました。また、国際学会に参加し口頭発表を行いました。農家ステイでは2つの村で文化を体験しました。住民が持つ故郷愛や価値観に強く影響を受けました。自身を見つめなおす機会になり、日本の政治や文化、歴史への意識、関心が一層高まりました。
自己肯定力
未知の体験(”ホームシック”、”異文化”、”トビタテ生”)によって強化されたストレス耐性と留学を終えたことで得た自信により、自分を信じる力が強くなりました。「私はこう思う」と自信をもって言えるようにななり、それが生きる軸の形成につながったと思います。
留学を通して得た大きな収穫は、日本を大切にしたいという気持ちです。インドネシアの住民の故郷愛や文化を大切にする姿を見てそう感じました。そこで、研究ではなく教育分野で活躍したいと思い、高校の教員を目指しています。次世代に環境を残せるように環境保全型農業の技術を教えていきたいと思います。
2019年
11月~
2020年
1月
【バンドン】1)現地学生4名と計114の水田で外来巻貝の発生状況を調査した。大部分で外来種の発生が見られた。一方、山間のカンプンナガでは在来種のみが発生していた。2)現地学生1名とカンプンナガのMr. Rismanの家に滞在し文化を体験した。農作業の手伝いや圃場で貝類の分布、土壌状態の比較調査を実施した。また、ガイドマップを作製した。【ジョグジャカルタ】1)計60の水田で淡水貝類の発生状況を調査した。主に6属の貝類が確認された。外来種はMerapi山近辺ではほとんど見られなかった。2)現地学生1名とSeygan村のMr. Tukimunの家に滞在し、淡水貝類の調査や農作業の手伝いを行った。カンプンナガ同様に在来種が確認された。3)2019年12月2日~4日、ボゴールの国際シンポジウムに参加した。聴衆約20名の前で英語による口頭発表および質疑応答を行った。
学費:納入総額 - 円 |
住居費:月額 20,000 円 |
生活費:月額 20,000 円 |
項目:移動費、学会参加費、農村滞在費 100,000 円 |
学費:納入総額 - 円 |
住居費:月額 20,000 円 |
生活費:月額 20,000 円 |
項目:移動費、学会参加費、農村滞在費 100,000 円 |
農家ステイで訪れたカンプンナガ、そこは電気が通っておらず自給自足の生活を営んでいました。夜はランプの明かり一つを頼りに過ごしました。テレビもなく、携帯を使う様子も見られませんでした。そのため、釜戸の火がぱちぱちと燃える音が聞こえるだけで、本当に静寂な夜でした。運のよいことに人生初の蛍を見ることもできました(雰囲気もあってきれいだったなー)。豊かな自然と理解しえない住民たちの精神性に圧倒されました。またいつの日か、今度は言語をしっかり習得してから訪れたいなと思う思い出深い場所です。
留学中ずっと助けてくれた友人がいます。写真(一番右)に写っている彼です。卒業研究や講義などで忙しいにも関わらず、Visaの手続きから研究活動、農家ステイまで多方面で私を助けてくれました。大事な恩人であり親友です。お互いに冗談を言いながら楽しく調査や農家ステイをしたことを今でも忘れられません。いつか日本に来ると話していたので、その時はたっぷりおもてなししようと思っています。
研究Visa取得が難航し、当初の留学期間を変更する事態になりました。採用取り消しの可能性、それにより今までの努力が無駄になることへの恐怖や不安から当時はひどく落ち込んだのを覚えています。
なんとしてもVisaを取得するために、日本とインドネシアの大使館や研究機関に毎日のようにメールあるいは電話をしました。また、インドネシア人の友人に頼りまくりました。結果、出発日の2日前になんとか取得できました。これはとても褒められたものではありませんが、無事留学することができました。
インドネシアは辛い食べ物が多く、留学直後は好んで食べていました。しかし、ある日突然腹痛に襲われ、食べることができなくなりました。病院に行くのも不安だったので、持参した薬に頼ることにしました。そこで活躍したのが正露丸です。徐々に回復し、なんとか1週間ほどで元の健康体に戻りました。
また、留学の中期にホームシックに悩みました。食事でいえば、寿司やおにぎりが食べたくなりました。そこで活躍したのが味噌汁です。先に挙げたものとは違いますが、日本の味を象徴するそれに感動しました。もう少し頑張れば日本に帰れると言い聞かせ、味噌汁が踏ん張る力をくれました。