留学内容
観光整備の工夫が豊富なマルタで幅広い観点から観光整備を学んだ。マルタは観光地と住宅街の棲み分けに配慮した街づくりが行われていたり、各観光スポットに責任者を配置したり、観光地開発と並行して環境保護にも力を入れている国だと事前調査で把握していたので、そのようなマルタならではの観光整備を学び、帰国後は京都の観光地にそれらの工夫を取り入れて観光客、住民どちらにとっても過ごしやすい観光地環境を作ることを目的とした留学内容。
最終更新日:2021年10月07日 初回執筆日:2021年10月07日
語学力:
言語 | 留学前 | 留学後 | |
---|---|---|---|
英語 | 生活に困らない程度の日常会話ができるレベル<英検2級> | → | 授業や会議の内容が理解でき、必要な発言ができるレベル<TOEIC700点> |
観光整備の工夫が豊富なマルタで幅広い観点から観光整備を学んだ。マルタは観光地と住宅街の棲み分けに配慮した街づくりが行われていたり、各観光スポットに責任者を配置したり、観光地開発と並行して環境保護にも力を入れている国だと事前調査で把握していたので、そのようなマルタならではの観光整備を学び、帰国後は京都の観光地にそれらの工夫を取り入れて観光客、住民どちらにとっても過ごしやすい観光地環境を作ることを目的とした留学内容。
小さい頃から京都の歴史的景観が大好きでよく家族で訪れていた。しかし、インバウンドが急増した数年前から京都の観光公害が著しく問題視されるようになったことを知りショックを受けた。日本人として、京都の本来の魅力を損なわず保護していきたいと思ったことから、観光整備を学びに留学したいと思った。
コロナウイルスの影響で、渡航後1か月以内に街のロックダウンが始まり思うように活動できなかったのが正直なところ。だが、毎日朝から夜まで街を練り歩きフィールドワークをしていたおかげでマルタ本土の観光地はほぼすべて偵察することが出来た。また、観光整備を学ぶということは環境保護と密接に繋がっていることに気付き、SNSを用いて環境に優しい生活のノウハウを今も発信し続けている。
行動力、コミュニケーション能力
ボランティア団体に所属していたわけではないので、自分ひとりで積極的に周囲を巻き込む必要があった。しかし、初対面の人に話しかけることが苦手だったためまずは知り合いに深くインタビューし始めた。そこから徐々に知り合いの輪を広げて地道に周囲を巻き込んでいったことで行動力とコミュにケーション能力が鍛えられた。
留学を通して環境問題に興味を持ったので、IT技術を駆使して世界の環境問題を解決していきたい。また、来年からIT業界でスキルを身に付け、途上国の環境問題や子供たちのIT教育に携わることで、生まれ育った環境に左右されることなく人生の選択肢を多く持つことができる子供たちを1人でも増やしていくことに人生を懸けて尽力していきたい。
2020年
2月~
2020年
3月
観光整備の工夫が豊富なマルタで幅広い観点から観光整備を学んだ。平日午前は学校で色んな人に出身国の観光地の状態について聞き込み調査を行ったり、放課後はマルタ中をバスで周り観光整備の実態を調査した。疑問点があれば近くの地元民に質問した。気になったことや新たに学んだことは随時メモし、留学専門のSNSアカウントで定期的に発信した。
学費:納入総額 - 円 |
住居費:月額 - 円 |
生活費:月額 - 円 |
学費:納入総額 - 円 |
住居費:月額 - 円 |
生活費:月額 - 円 |
観光公害を解決するために始めた現地での活動だったが、進めていくうちに観光整備は環境保護と表裏一体である事に気が付いた。マルタではスーパーでのエコバッグ持参が当たり前だったり、生鮮食品の包装も簡易なもので日常的に環境保護を心がけていることに感銘を受けた。マルタでの生活をきっかけに環境保護に興味を持った私は帰国後、早速様々なエコグッズを購入して使ってみたり、ごみを減らす風を考え、その様子を日々SNSで発信し続けた。就職活動ではフードロスを減らすビジネスモデルを考案し、プレゼンするなど、マルタでの生活がきっかけにサステイナビリティを意識した生活にシフトし、気持ちもリフレッシュできている。
日本人は寝る前にシャワーを浴びるのに対し、コロンビア人は朝起きてから一斉に浴びるので、登校前に日本人はトイレに行けないハプニングが毎日起きていました笑(シャワーが併設されたトイレだったため)
予想外のことが起こり忙しくも刺激的な毎日でした。
しかし、コロナが本格的に拡大し始めてからは、シェアハウス内にも緊張した空気が広がり始めました。
一番しんどかったのは、日本人とコロンビア人が自然と分離し始めたこと。それまでは一緒に映画を見たり、散歩に行ったりゲームをしたり、人種関係なく時間を共に過ごしていましたが、やはりこのような緊急事態になると第一に同じ人種同士結束する方が安心なのかなぁと「見えない人種の壁」を感じ、少し寂しくなりました。そんな日々が数週間続いた後、私は帰国することが決定しました。しかし、せっかく仲良くなったコロンビア人たちと心の壁を感じたまま別れたくないと悩んでいた時、コロンビア人たちがお別れパーティーを開こうと提案してくれました。パーティーといってもみんなで食卓を囲むだけですが、数週間ぶりの全員揃っての食事にそれだけで泣きそうになりました。
何より一番嬉しかったのは、コロンビア人も恐らく私たちと同じ気持ちだったっということ。コロンビア人たちのおかげで改めて気持ちを言葉にすることの大切さを学びました。