留学大図鑑 留学大図鑑

乾 将崇

出身・在学高校:
清風高校
出身・在学校:
東京大学
出身・在学学部学科:
文学部人文学科インド哲学仏教学専修課程
在籍企業・組織:

チベット仏教僧院留学、チベット語圏留学検討者には、いくつかの提供できる資料がありますので、ご相談ください。すぐに返信できないことが多いと存じますので、返信をお求めになる場合、余裕をもってご相談ください。


最終更新日:2025年07月22日 初回執筆日:2025年07月22日

チベット仏教僧院留学

留学テーマ・分野:
僧院
留学先(所属・専攻 / 国 / 都市):
  • ギュメ学堂・チベット仏教・ゲルク派
  • インド
  • フンスール
留学期間:
3ヶ月
総費用:
800,000円 ・ 奨学金あり
  • トビタテ!留学JAPAN「日本代表/新・日本代表プログラム」 800,000円

語学力:

言語 留学前 留学後
チベット語 生活に困らない程度の日常会話ができるレベル 専門的な研究や会議において、議論や調整ができるレベル

留学内容

チベット仏教をチベットの師僧について学ぶために留学しました。チベット仏教には四つの宗派があり、そのうち最大の宗派であるゲルク派(dge lugs)の僧院に留学しました。ゲルク派は学問を極めて重視する宗派で、学僧を5千人単位で抱える大僧院がいくつもあります。そのうち、私が留学したのはギュメ学堂(rgyud smad grwa tshang)でした。ギュメ学堂は、密教(sngags)の領域の専門的な教育で知られており、私は密教の勉学とチベット語能力の向上のためにここを訪れました。結果的には、密教の前段階として顕教(mdo)の勉強をするクラスに編入させられ、仏教論理学(bsdus grwa, blo rig, rtags rigs)の基礎、教義(grub mtha')を学びました。そして、上級の学級にもお邪魔をして般若学(phar phyin)、そして密教の基礎である地道(sa lam)を学ぶ機会も僅かながら得ました。さらには、チベットの伝統的な文法学(sum rtags)を学ぶ機会を得、文法学の口頭伝承(lung)を師僧から受けました。加えて、問答(rtags gsal)や仏教論理学についても実践的に学び、学僧と共にチベット語で討論して過ごしました。

留学の動機

チベット仏教は日本に伝わらなかったインド後期仏教を正統に受け継ぎ現代に伝えるるものです。チベット仏教の教義は整理されており、師伝も多く残っています。チベット僧院の教育システムは20年を優に超え、世界のあらゆる仏教僧院や研究機関を凌駕しています。チベット仏教は大乗仏教の精髄とも呼べるものです。私は仏教徒であり、信仰の観点から、仏教を仏教理解のレベルの高い学僧から学びたいと思い、留学しました。

成果

留学中はゲシェー(dge bshes)と呼ばれる仏教博士の僧侶からチベット仏教を学び、仏教理解が高まりました。問答会場(chos ra)で討論の結果、チベット仏教の問答術をこなせるようになりました。僧院問答において使われるgra ji bzhin paという概念について名古屋大学で研究発表し、留学記録は『仏教文化』(63号)に掲載され出版されました。また僧院内の入手困難な書物を日本に将来しました。

ついた力

まくしたてる力

僧院の問答においては、論理的な思考力と同時にチベット語でまくしたてることが重要です。まくしたてるには相当の語学力が必要です。チベット僧院教育で、同級生と教義問答するなかで、自分の考えを大きな声で素早く何度も繰り返してお構いなく主張する姿勢が身につきました。これは、インドの雑踏の中で会話をする際にもとても役立ちました。

今後の展望

チベット仏教や僧院の事情にはある程度明るくなったので、今後は地域研究的な方針からは一度距離を置いて、理論重視の宗教学の研究へと方針を転換したいと考えている。他にも、解釈学(hermeneutics)といった比較の方向や観想学(contemplative studies)といった学際的な方向性を考えている。目下海外の大学院進学の準備中。

留学スケジュール

2024年
8月~
2024年
10月

インド(フンスール)

チベット仏教最大の宗派であるゲルク派の中でも密教を専門にするギュメ学堂と呼ばれる僧院に留学しました。在家用の寮で暮らし、食事や生活を在家チベット人と共にしました。勉強は、在家用のクラスと僧侶用のクラスの双方に出席しました。

授業は朝の7時にはお経を唱えることから始まって、8時には朝食(チベットのパレーと呼ばれるパンを食べます)、9時から12時まで授業、昼休憩があって、13時から19時まで授業と問答といった詰め込み教育を受けました。日中には、経典の暗唱、論理学の定義の暗唱、討論の筋書きの訓練などを重ね、夕方には問答で腕試しをするという繰り返しでした。休みの日もほぼ外出せず、勉強に勉強を重ねました。

授業や日常の全てがチベット語で行われました。授業以外でもチベット語を上達させたいために、英語で親切に話してくれるチベット人には、ガー・インジー・ヤゴ・シェング・メー(私は英語はよく分からないのです)と言って、会話の全部をチベット語で行いました。チベット語は言文一致をしていない言語で、文語しか日本では勉強していませんでした。なので、留学初期は、チベット語の聞き取り、口語の砕けた表現の理解に苦しみましたが、授業に出席するうちにわかるようになりました。さらに、留学前は楷書体(ウチェン)のみを知っており、文字の筆記体(キューイー)がわかりませんでしたが、筆記体も練習を重ねスラスラと読めるようになりました。加えて、チベット僧院の問答の実態は日本でほとんど知られておらず、研究の積み重ねもなく予備知識がない状態で行きましたが、僧院の先生方のおかげですぐ構文ややり方を習得することができました。

僧院は一種の社会で、さまざまな役職や上下関係があります。高位の僧侶にあった場合には五体投地といって土下座のようなことをする必要があります。僧院の序列の把握や人間関係についても学ぶことができましたし、それに応じた敬語などの言葉遣いも学びました。さらに、チベット人の独特な仕草(例えば偉い人に椅子を勧められたら舌をペロリと出して座るなど)についても学ぶことができました。

留学中の授業で学んだことは、仏教哲学、仏教論理学、チベット語文法学でした。仏教哲学では、仏教の学派を毘婆沙師、経量部、唯識、中観という四つに分け、それぞれの教義(grub mtha')を学びました。論理学では、ドゥラと呼ばれる文献に基づき、問答をしたり、ローリクと呼ばれる認識論を学び、それについても問答をしました。その後、『現観荘厳論』に基づいた般若学の最初を学ぶことができましたが、般若学に入ったあたりで留学期間が終了して帰国することになりました。チベット語文法学では、ヤンチェンドゥペードルジェと呼ばれる文法家の解釈に従ってチベットの文法学を学びました。いくつかの教科では暗唱が求められ、チベット語母話者ではない私にも母話者同様のテストが課され苦労しましたが、何度も書いたり、唱えたりすることで、暗唱試験にも通過することができました。チベット僧院のカリキュラムで言えば、極めて初歩的なことを学んだにすぎないので、この基礎をもってより高度な内容を将来的には、チベットの師僧に師事して学んで行きたいと思っています。

留学中に学んだ内容はnoteというブログに掲載していますので、是非ご覧ください(例えば:https://note.com/inuimasataka/n/naefdab1a3559)。

費用詳細

学費:納入総額

750,000 円

住居費:月額

3,000 円

生活費:月額

3,000 円

項目:学費・書籍・お布施(寺院に部外者が入る場合はお布施が必要)

400,000 円

ギュメ学堂・本堂(本堂では授業は行われず、儀式が執行される)
近くの別のお寺に観光したときの写真。
費用詳細

学費:納入総額

750,000 円

住居費:月額

3,000 円

生活費:月額

3,000 円

項目:学費・書籍・お布施(寺院に部外者が入る場合はお布施が必要)

400,000 円

2024年
10月~
2024年
10月

インド(ダラムサラ)

インドにあるチベット亡命政府の本拠地ダラムサラにあるチベット子供村(TCV)に滞在しました。チベット子供村はチベット難民の1年生から12年生までの子供に教育を与えるところで、親を失ったか存命かに関わりなく、全寮制となっています。ただし全寮制といっても小さな学年は、業の家族(las kyi nang mi)と呼ばれる擬似家族を形成し、学校の中にある独立した家(khyim)で家族として生活をしています。大きな学年は擬似家族が解体され、普通の寮で生活しています。ここでの教育は、僧院とは違い、普通の教育を提供し、インドの大学に入学することのできる学力を最終的には育むこととなっています。しかし、多くの授業がチベット語でおこなわれています。

私はここで各学年のクラスに一日中密着し、彼らと時間を過ごし、観察するというフィールドワーク、教職員にインタビューするというフィールドワークを行いました。チベット人は難民ということもあり、自身の言語を保全することにとても注意を払っています。チベットには西洋的な数学はありませんでしたが、亡命以降数学用語をチベット語で創造し、チベット語で思考できるように近代的な語彙を整備し、それを子供に教えるようになりました。以前は英語で教えられていた科目も、近年ではチベット語で教えられるようになったとの話しを聞きました。ただし、最高学年の12年生の授業はインドの大学入試に備えるため、授業のテクストは英語だが先生の解説はチベット語で、チベット語にない社会学や政治学の単語が英語でそのまま使われるという、チベット語-英語混合の授業でした。僧院では英語が飛び交うことはまずありませんが、僧院の外では英語とヒンディー語がかなり飛び交っていました。

僧院と普通の学校の大きな違いは、方言話者の有無です。チベット語の方言は主に、中央方言という標準語、アムド方言、カム諸方言、西部の諸方言、南部の諸方言に分けられます。僧院はさまざまな出身者が集い、さまざまな寮に分かれて生活しますので、方言が入り混じっています。しかし、チベット子供村ではほとんどが中央方言に依拠するチケー(spyi skad)という標準チベット語を話していました。僧院はさまざまな方言が飛び交いカオスで、チベット語初心者には難しい環境ですが、僧院に一度滞在した身からすると、ダラムサラの学校の言葉遣いは聞き取りやすいものでした。

ダラムサラはヒマラヤ山脈の麓にあり、とても気候がいいです。冬は雪が降り、夏は大雨ということもあるのですが、秋は最も過ごしやすい時期です。日本の山間の秋と同じくらいの湿度と寒さで、日本人からすると過ごしやすい天気と言えます。マクロードガンジーはチベットの商店街が立ち並び、観光スポットとしても有名です。日本人による日本料理屋さんもあり、日本人コミュニティも小さいながら存在します。山を少し降ると、図書館があり、ここでは日本で入手できない多くのチベット語の書籍を購入することができます。前にいた僧院は、観光するところも近くにない、空港から3時間かかる田舎にあったので、久しぶりに都会を見た気分になりました。

費用詳細

学費:納入総額

- 円

住居費:月額

- 円

生活費:月額

- 円

項目:食費・交通費・書籍代など

30,000 円

ダラムサラからヒマラヤを望む。
チベット子供村の校庭。
費用詳細

学費:納入総額

- 円

住居費:月額

- 円

生活費:月額

- 円

項目:食費・交通費・書籍代など

30,000 円

スペシャルエピソード

感謝してもしきれない、お世話になった・大好きな人

チベット僧院の留学中に師事したゲシェー・ツェワン先生のことをお話ししたいと思います。ツェワン先生は般若学の先生でツォンカパの『ダンゲーレクシェーニンポ』を担当されると同時に、問答の監督でもありました。私が留学初日問答会場に行ったものの何をしていいか分からずいると、問答の最初のフレーズに対して「証因不成立と答えないとダメだよ(rtags ma grub zer dgos red da)」と手取り足取り教えてくれた方です。この先生はティ・カム地方の訛りが強かったのですが、先生の教え方は不思議と頭の中に入ってくるのでした。訛りに関係なく、教え方が驚くほど上手なのです。日本にいたとき全然理解できなかったことが、スルスル簡単に理解されるのです。この方がいなければ、今の私は全く違った場所にいるだろうと感じています。チベットの先生の口頭伝承を辿ると、ツォンカパまで辿り着き、これを遡ると釈尊に遡るのだろうと本当に感じます。言葉の一つ一つに渾身の理解が含まれているような気がして、ただただご指導には感謝の念があります。今自分は先生方から遠く離れましたが、さまざまに自省したいと思っています。仏教のことについて話すとき、師伝と違いがないかについて常に考えます。師伝と論理とともにあるかぎり、自分の後に師もいてくれるのだろうと思います。いつもこの先生のことを思っていますし、いつも共にいてくれればと思います。

近くのセラ寺の本堂の写真。

留学で確信した、“私はこれを目指す!”

留学前は、仏教学や地域研究としてのチベット学の将来に暗い思いを抱いていました。文献学はNLPやAIの発展によりその重要性を失うだろう、地域研究はSNSやインターネットの発展によって以前ほど重要性を持たないだろうと感じていました。そのような危機感がありながら、では将来に向けてどうするのがいいのかについては全く考えがありませんでした。私は今回の留学を通じて、チベット語のトゥンモンパという言葉に出会いました。トゥンモンパとは「共通するもの」という意味の形容詞です。チベットのお坊さまから人々にはトゥンモンパの部分とそうでない部分、すなわち共通点とそうでないところがあるが、共通点の方が圧倒的に多い、なので共通しているところを大切にしなさいと教えていただきました。さまざまな差異を指摘して強調し、争うことはできるが、共通しているところに目を向けて協力するのは難しいかもしれないと感じます。だからこそ、そのような差異に大らかな、平和な道に強い憧れを持ちました。以上のような経緯から、私は地域的な差異を強調したり、思想の差異を強調する研究から、より理論的でマクロな研究、具体的に宗教学の理論構築に、トゥンモンパというチベット語を大切にしながら進もうと考えています。

チベット料理のモモ。

僧院チベット語リスニング対策

  • 語学力 : その他の言語

チベット語は文語と口語でかなり開きがある言語のうちの一つです。さらに、僧院留学するといった場合、さまざまな訛りや仏教表現を知っておく必要があります。これらの対策を十分日本でしてから留学することは難しいです。ただし、勉強の順番はお示ししたいと思います。まず、文語チベット語の文法を学んで、文法書の例文暗記をしてみてください。その後、grub mtha'と呼ばれる教義書をチベット語で読んで和訳を作成して、チベット語を暗記してみてください。その後、口語の文法書で文法を学んで、その例文暗記をしてください。これができたら、日本にいるチベット人コミュニティに出入りして、チベット人と会話したり、YouTubeでチベット語のリスニングをしたりしてみてください。その際、できるだけ多くの方言と触れた方がいいと思います。その後、インドの仏教論理学の専門書を読み論理学の基本的な考えを学び、その後bsdus grwaの読み方をYouTubeで勉強してください。その後、チベットのお坊さまのお説法のYouTubeを見て、文字と音とを対応させるようにします。これくらいのことができるようになれば、あとは留学しても大丈夫だと思います。留学後は、講義をできるだけ文字おこしすることが重要です。文字と音を対応させ、そして意味と対応して、最終的には意味が理解できるということになります。文字と対応できない表現もありますが、それはスペルとかは考えずに、気合いで音で覚えて、意味もよく分からないまま感覚で使って試してみるしかないです。使っているうちに、意味がわかってくるようにもなります。そして、文語的な表現と口語的な表現が文脈に応じて使い分けられるようにしておけば、おおむね問題ないと思います。例えば、「〜のような」というのは「〜ナンシン」あるいは「〜タウ」と言いますが、前者がより口語的な表現で、後者がより文語的な表現です。

チベット仏教僧院コンタクト方法

  • 留学先探し : その他教育機関(専門学校など)

チベット仏教の僧院に留学したというとよく言われるのがどうやってツテを得たのかということです。私は確かにツテがなかったわけではありませんので、助言になるかどうか分かりませんが、もしインドのチベット難民キャンプ内のチベット僧院に留学したければ、日本のチベット・ハウス(https://www.tibethouse.jp/)にコンタクトをまずして、相談することをお勧めします。あるいは、新デリーのチベット・ハウス(https://tibethouse.in/)に相談するのがいいと思います。チベット語力がない場合は、ダラムサラの語学学校を勧められるかもしれませんし、チベット語力がある程度ある場合は南インドの僧院を勧められるかもしれません。すでにチベット語力があり、仏教を勉強専門的にしたい場合は、南インドの大僧院に留学することをお勧めします。ダラムサラでも仏教は学べますが、僧侶の数は少ないです。南インドの大僧院に留学するのが、厳しいものの、大きな実感を得られると思います。ただし、南インドは気候的に日本とは大きく異なり、冷水シャワー、洗濯機はなし、夜は停電などインフラが整っていないので、下痢止め、風邪薬、洗濯板など色々準備して気合を入れていく必要があります。

留学前にやっておけばよかったこと

留学前にしておいてよかったと思ったことは、ワクチンを打つこと、下痢止め、風邪薬を準備したことです。用意しておけばよかったことは、洗濯板、懐中電灯、日本食を携行することです。昆布、梅干し、海苔、味噌、カップラーメンなどがあれば、ホームシックを防げると思います。私はリュックサック一個で僧院に入ったので、何も用意がありませんでした。

留学を勧める・勧めない理由

留学は機会があるときにしか行けないので、もし機会が巡ってきたならば、たとえ必要性を感じていなくても、行くことをお勧めします。留学するのにまともな学問的な理由は必要ありません。学問的な理由があって留学に行く人はごく限られた研究者だけで、あとは漠然とした憧れで行くものです。機会があって、漠然とした理由があれば、留学に行かれる最高のタイミングだと思います。今を逃すと永遠にないかもしれません。

これから留学へ行く人へのメッセージ

留学は、今まで知らずある場所に対象として抱いていた憧れや憎しみを一度解いて、冷静に見る、出会い直すことでもあります。留学が絶望であれ、希望であれ、今までの自分が持っていた世界理解を変えてしまうことに意味があると思います。行きたくないからこそ、行くという逆説は全く留学においては成り立ちます。留学に行きたくない人は、ぜひ留学してみてください。留学に行きたい人は、ぜひ絶望して帰ってきてください。