第1回は埼玉県教育委員会の小松弥生教育長に、「協調学習」を軸とした課題解力の向上とグローバル人材の育成について、どのような方針と戦略で取り組んでいるのかを聞いた。
「私が初めて行った外国はインドとバングラデシュとネパールで、高校生の時でした。父が教えていた大学に来ていたバングラデシュの留学生から『バングラデシュってこんなに大変な国なんだよ』と聞いたのがきっかけでした」
小松教育長が初の海外体験を語った時、その目はやはり輝いていた。その「大変な国」、バングラデシのことを部活で所属していたユネスコクラブで研究していた時、たまたま日本ユネスコ協会がインド、バングラデシュ、ネパールに交流団を派遣するという話があり、それに応募したという。
「協会の職員1人と、大学生と高校生の私の女性3人で行くことになって。バングラデシュのことも前にたくさん調べてから行ったのですが、実際に行ってみたら自分が想像していたのとは大違い。道路真ん中にある中央分離帯で洗濯物を干していたり、人間が寝ていたりしていたのに衝撃を受けました。空気感がまったく異なるし、人々の接してくれる感じも日本とは違う。当時のバングラデシュでは女性が出歩くことは少なかったのか、空港に着いたら人がワーッと群がってきて驚きましたね」
この時の経験が、「今思えば、その後に教育行政に関わることになる原点になったかもしれない」と小松教育長は話す。
「そういう国を自分の目で見たことで、日本人が、そして日本という国が世界の中で何をすべきか、 考えないといけないという思いが、深層心理に残りましたね。今の高校生にも、そのような体験をたくさんしてもらいたいと思います。こういうのは実際に行って見てみないと分からない。自分でいろんな機会を積極的に見つけて、どんどん海外に出て行ってほしいですね。なお、5、6年前に首都ダッカを再度訪問した際には、高層ビルが建ち並ぶ大都市に変貌していましたよ」
埼玉県は平成22年から、東京大学の「CoREF(コレフ)」と組んで、県内の公立高校で「協調学習」を取り入れ成果を上げている。アクティブ・ラーニングの一種で、「教え込みの授業から、生徒が主体的に学ぶ授業へ変革することで、生徒の学びの基盤を形成し、生徒一人一人の学力を向上させたい」との発想から取り入れた。
「元々は教育学者の故・三宅なほみ先生と、前任の教育長がまだ課長時代から取り組んできたものでした。 海外との関係でいうと、英語を話せるだけではダメで、英語をどう使うか、何を表現するかなどのコミュニケーション能力や、課題解決能力を育成することが大事になると思っています。なので、協調学習の取組はグローバル人材教育にも積極的に使っていこうとしています」
具体的には、どのような学習をするのか。
「ある課題を解決するためには、いろんな視点から策を考えていくことが必要になります。そこで、三 つの視点から捉えた資料を用意して、各生徒には一つの資料だけ渡します。ある生徒はAという資料を、 別な生徒には資料Bを、また3人目には資料Cを与えます。その3人を集めて、それぞれに『自分が読んだ資料に基づいて、この課題はこう考える』と発表してもらいます。普通のグループ学習では誰か発言力が強い生徒がその場をリードしがちですが、この協調学習では全員が発表し、3人が知識を持ち寄って課題を解決して、それを発表していくのです」
東京大学CoREFのウェブサイト(http://coref.u-tokyo.ac.jp/archives/5515)によると、この手法は「知識構成型ジグソー法」と呼び、「自分の言葉で説明したり、他人の説明に耳を傾けたり、分かろうとして自分の考えを変えたりといった一連の活動を繰り返すことで、考え方や学び方そのものが学べることが 分かってきています」と説明されている。「知識構成型のジグソー法は、型が明確・簡単で、多様な展開が可能であるため、 協調学習を目指した実践に適しています」としているのだ。
「この協調学習をもちろん英語でもやっていて、人と協力するということも学べるし、自分が考えてきたことを深く見つめ直すことにもなっています。県内の全ての県立高校で実施しているので、かなり課題解決能力の向上につながっているのではないかと自負しています」と小松教育長は語る。
自分で読む資料だけでなく、人と話し合いながら自分の考えに対して相手が別の意見を返し、その相作用によって自分の考えが深まり、相手も同じような効果を得られる―。そんな協調学習の下地があったうえで、グローバル人材の育成に関しては、県が一般財源から予算を出して米ハーバード大学とマサチュー セッツ工科大学(MIT)に県立高校生 40 人を派遣する「グローバルリーダー育成プロジェクト」(高校生 の海外派遣プロジェクト)を展開している。
「派遣する期間は9日間ですが、その前後にかなり充実した研修を実施しているのが特徴です。日本人講師だけでなく外国人講師も招いたり、ハーバード大の学生にも事前に県内まで来てもらってワークショップをやったりしています。そのように事前学習をみっちりやったうえで、アメリカの2つの大学を訪問して現地の学生といろんな社会問題を考えてもらう取組です」
生徒たちの変化は大きいという。「その9日間を経て帰ってくると、やはりみんな大きく意識が変わっているんですね。帰国してからは自分の学校で、その体験を発表してもらい、全校生徒とその体験を共有してもらうことで、ほかの生徒も大きな刺激を受けている。『今年は行けなかったけど、来年は行こう』と意気込む生徒も出てきて、学校の中でもいい影響が出てきているそうです」
もともとは平成23年度に県が10億円を出資して設立した「グローバル人材育成基金」が、このプログラムを実施してきた。28 年度まではこの基金を活用していたという。現在は同基金が終了したため、一般財源に切り替えて実施している。
埼玉県の「県立学校グローバル教育総合推進事業」全体で平成30年度の予算は4億2000万円。令和元年度も同じ規模になるという。これには埼玉県の県立高校44校に62人いるALT(外国語指導助手)の活用なども含まれている。
「個人的には米国だけでなく、シンガポールや中国などに行ってもいいかもしれないと思っています。このプログラムとは別に、フィリピンのセブ国立科学高校という非常にレベルの高い学校と、協調学習を使った交流も実施しています。サイエンスに興味を持つ高校生10人を約1週間派遣して、一緒に環境に関する研究活動などをやっています」
「またメキシコにある県の姉妹都市にも高校生を派遣しました。行ってきた生徒らは『すごいカルチャーショックを体験しました!』と衝撃を受けていたようでしたね。私が高校生の頃にそうだったように、途上国や新興国に行ってみてもいいと思う。自分でいろんな機会を積極的に見つけてどんどん外に出て行ってほしいし、県としては予算が少なくなっても、工夫して大勢が海外に行けるようにしたいと思っています」
平成29年度からは埼玉県国際交流協会の中に、「埼玉グローバル人材活躍基金」を設置して、奨学金を運用しているという。また、寄附をしてもらった企業・団体の名前を打ち出した冠奨学金制度も平成30年度から始めている。
こうした取組で、平成29、30年度で233人の留学を支援したといい、23年度に10億円で基金を作った時からのトータルでは1863人が実際に留学した。
県内高校生のグローバル人材育成に向けた今後の方針について、小松教育長はこう話す。
「スーパー・グローバル・ハイスクール(SGH)にも指定されている県立・不動岡高校では、教職員が一丸となって英語教育や協調学習を推進していて、特に自分の考えた学習結果を発表することに力を入れています。自分の学校がどんなグローバル人材を育てたいのかをきちんと示しながら実践し、教員がみんな 同じ目的をもって、手法を共有してやっていく。こういうことがこれからは大事になるなと思っています。 協調学習と組み合わせて、日本の課題が何かということを考えたうえで外国に出ていく。これが本当の意味でも『クリティカル・シンキング』につながっていくと思うんですね」
高校生のグローバル人材育成を定着させるため、教員のレベルアップと協力体制を整えていく方針もあるという。
「学校の先生には『自分の教授法は自分で』という人が多いのですが、これからはもうそういう時代ではないと思います。必ず教員も学び合いが必要になってきます。そういう学び合う場を作っていくことが教育委員会としても課題ですし、グローバル人材育成に関しても教員ネットワークを広げていく展開をしていきたいと考えています」