留学内容
マルタでの毎日自分は中世に生きているような不思議な気分であった。ロンドン経由でマルタに到着したが、空港から降り立って街中に入ったとたんどこを切り取っても絵になる景色に、このような場所で大好きなパルクールでマルタの人々と繋がることができると思うと胸が高鳴ったことを覚えている。ロンドンも古く、美しい街並みだと思ったが、マルタは全く違った。古い歴史を感じる街の美しさと自然の美しさに陶酔し、古い歴史と近代スポーツであるパルクールの調和は面白いと思い、留学中の活動が期待に胸が膨らんだ。
実際は語学学校が思っていたよりハードで、宿題も多く、平日はなかなか交流が難しかった。休日に街を散策したが、街にいる人々に話しかけたら、意外と観光客が多く、学校の先生も出身はイギリスで、スタッフもマルタでない方が多く、出会えたマルタの現地の人はレストランやストアなどで働いている方くらいで、なかなかマルタの現地の方とは交流が難しかった。「I’m Japanese, It’s Syuriken that is one of Japanese Ninja’s arms.」のような簡単な説明を行い、レストランやストアで働いている方などに手裏剣を渡すと、忍者自体を理解していない方も多かった。忍者映画などもあり、日本といえば忍者と思っていたが、忍者の認知度は低いことに驚いた。語学学校の友人はトルコや南米から学びに来ている人が多く、忍者について詳しく説明すると興味を持ってはくれたが、聞いてみると侍の方が認知度が高かった。
パルクールの技を街中で行うことは、建物が美しく、許可などを取らずに行い、問題になると怖いので、なかなか難しかった。公園などでパルクールを行うと期待していた「Cool!」「Awesome!」などといった言葉とともに「Be care!」「Danger!」「Look out!」なども多く言われてしまい、僕が魅せるパルクールを行いきれなかったことが問題なのかもしれないけれど、マルタにはZENさんもいるし、フランス発祥のパルクールの認識もあると思っていたが、実際はそうでなかったのにも驚いた。ただ、パルクールは難しいスポーツではなく、走ったり、飛んだり、よじ登ったりするような移動動作を基本として、魅せるスポーツなので、街中や公園で、自由にスタートとゴールを決めて、階段や段差、障害物などを越えながら、移動するだけでも楽しく、アクロバティック的な大技はできなくても、目の前の環境で自らの移動方法を探求することをマルタの地で行えたことは刺激的であった。無理をせずに行い、それを見てくれる人々が「なんだか面白いことをしている人がいるぞ」と好奇の目を向けてくれるだけでも良かったと思う。実際に黒ずくめの忍者スタイルでのパルクールは5回しか出来なかった。公園で、階段の手すりや丸いベンチなどの障害物を飛び越えながら、画用紙で作った手裏剣を投げながら行うと、子供たちが喜んで拾ってくれた。そこで、「I’m Ninnja from Japan!」と言って、壁などを使い、アクロバティックな技を行ったら、子供たちの反応は思っていたのとは違い、喜んでくれている感じは少ないようであった。ただ、折り紙手裏剣は初めて見て、実際に遊べるので、人気であった。親御さんたちは拍手をしたり、「Cool!」などと褒めて下さった。手裏剣に「ありがとう」「日本」「平和」「忍者」と書いていた。するとひらがなや漢字にも興味を示してくれて、読み方や意味を伝えると、言葉を覚えて、何度も言ってくれたり、ひらがなを美しい文字と言ってくれた。「ありがとう」は聞いたことがある人もいたが、「日本」「忍者」「平和」という言葉を知っている人はおらず、特に「平和」は響きが良いようで、語学学校のそばにあるコンビニエンスストアの店員さんは、買い物にいくたびに「Heiwaaaa」、「Heiwaaaa」と僕に言って笑いかけてくれていた。留学前に今回のコロナでの渡航が伸びて、留学に関しての様々な問題があったり、ウクライナのことや自分の周りの悲しい出来事などもあり、平和に暮らせることのありがたさを感じていたので、「平和」という言葉も知ってもらいたいと思い、手裏剣に書いたが、意味や響きも良く、複雑な難しい漢字ではなく簡単で美しい漢字であり、意外に人々の反応も良かったので、「平和」は世界中の人々にとっても大事な言葉で、日本を知ってもらうためにも素晴らしい言葉だと改めて思った。見てくれた人に簡単なパルクールの技も教えて、一緒に楽しんでみたかったが、危険かもしれず、何かあったら責任は取れないと思い、縁石を超えることを教えて、試してみてもらうくらいしか出来なかった。
僕は東京に住んでいるが、小さな公園やちょっとした広場などは街中にあり、広めの道や通りなどでもやろうと思えば、パルクールの技をしながら進んだり、簡単なパルクールなら出来た。逆にマルタは、自分がいたセントジュリアンには自分の行動範囲内には、大きな公園はあるが、東京のような街中の小さな公園はなく、マルタストーンという素材でできた通りはつるっとしていて滑りやすく、物理的にも街中では気軽にパルクールは出来なかった。街の外観にも調和しているマルタストーンは美しいが、雨の日には油断すると何度も滑ってしまうくらいつるっとしていた。語学学校の先生にその話をすると、マルタは通りや特別な建物だけでなく、一般的な多くの建物もマルタストーンをほぼ使っているので、色調も統一されていて美しいと聞き、そんな街中でパルクールが自由にでき、動画などを撮ることが出来たら、帰国後に美しいマルタに溶け込んだパルクールの楽しさを紹介できると思ったがそれも難しかった。
アンケートは日本から英語とフランス語で記入式のものを用意していったが、実際に希望していたリハビリ施設や病院の見学が叶わなかったため、パルクールを披露して、見て下さる方にアンケートを行おうと思った。しかし、パルクールを披露できる機会も少なく、公園などでパルクールをやって、見てくれている通りすがりの人たちにアンケートをお願いするとほぼ断られた。あとはお願いしただけなのにお金を請求してくる人もいて驚いた。お金を請求してきた人が現地の人かどうかまでは聞かなかったが、文化的なものなのか疑問に思い、語学学校の友人に聞くと、お願いしたことに対して、ヨーロッパ圏では対価が求められることもあると聞いて、確かに自分の外見ももう子供ではないし、街中でパフォーマンスをやっていて、アンケートに答えるようにとお願いしたら、断られたり、そのように対価を求められるのは仕方がないことかもしれないと思った。しかも記入するのは面倒だということにも気づき、急遽簡単なアンケートを作り、シールを貼ってもらうやり方を実践してみた。日本から持っていっていたカラーシールが役立った。そのようにしてみると、シールを貼るというやり方を面白がって、協力してくれる人が多く、以前の記述式アンケートは断られることに驚いていたが、そのことより人々に負担をかけていたことにも気づいた。アンケートからは、日本という国は知っている人は多かったが、忍者の認知度はかなり低かった。聞かれて、どのような存在かを実際に伝えたが、なかなか理解してもらうことが難しかった。画像などを見せながら説明すると、さらに質問をしてくれ、興味を示してくれる人もいたが、思っていたより反応が薄かった。語学学校の友人ともそのことについて話したが、観光地であるマルタに来ている人たちは、観光中にマルタではない日本のことを説明されても興味はそんなに湧かないだろうし、元々日本に興味のある人ではなかったら、日本には忍者という存在がいるくらいの認識を持ってもらうことくらいしかできないのではないかと思った。例えば自分も通りすがりに自分の知らない格好でのパフォーマンスを行なっている人をみた時、「何だろう?」「何をやっているのか?」と思い、足を止めるかもしれないが、よっぽど興味をひくことでなければ、そこまで深く興味は湧かない。日本にも街中で歌ったり、奇抜な格好でパフォーマンスをしている人がいるが、それと同じだと思った。もちろん自分のパフォーマンスのレベルが高くないこともあったかもしれないことは反省している。やはり現地の人との触れ合いがなかなか持てなかったということが観光地マルタでパフォーマンスを行い、思うような結果が得られなかった原因だったと考える。本来はホームステイで現地の人々ともっと触れ合う計画だったが、コロナで延期になり、現在受け入れが難しいということで、エージェントも変更になり、学生寮での留学生活となったためなので、思っていた結果と違ってしまったことは残念だが、逆に甘くない現実も見えたので、勉強になったと思う。
また語学学校の休み時間や学生寮でもパルクールを行ったが、そちらは忍者の格好ではなかったし、Showとして時間をとって行ったわけでもないので、なかなか認識を広めることまでは難しかった。対話を通じて、忍者の動きがパルクールに通じるものもあるということを理解はしてもらえたとは思うので、友人たちが帰国して、自分の生活に戻った後に何かの折に「日本には忍者という存在がいて、不思議なことができる、そんな日本に行ってみたい、日本に行った時にはぜひ忍者のことにも触れてみたい」といった気持ちにはなってもらえるくらいは認識してくれたとは思う。
美しく中世の歴史を感じるマルタで、日本の伝統的な価値観を持つ神秘的な存在である忍者とパルクールという自分の大好きなものを融合させ、自分なりに見せることが出来たのは良かったと思う。マルタは人気の観光地で、語学学校も多く、最近は日本などアジア圏からの留学生も多いようだ。しかし、日本からの留学生も皆自分の目的に応じて行動しており、自分を高めつつ、自分の好きなことをしながら、日本を紹介することを行っている人はほぼいないだろう。マルタの現地の人、マルタに観光来ている人も含め、マルタの地で出会った人に「日本」を知ってもらい、動きが通じるパルクール忍者としての活動を行い、全てが計画していた通りにうまく行ったわけではないからこそ、これからも思いがけないことにぶち当たるであろう自分の成長の糧なったはずだ。パルクールをするためにSt.Elmo Fortに着いた時に街を見下ろすと、長く続く、滑りやすいが美しいマルタストーンの道が見えたのと同様に、僕はこれから経験するいろいろな問題や挫折などに立ち止まったり、それたり、滑りながらも目的地に着き、後ろを振り返り、自分が進んできた道を見ると、きっと美しいと思えるようになるだろう。