留学内容
ドイツは工業国であり、ドイツの製品は品質がよく、ブランド力も高いので付加価値が非常に高いのも特徴です。車の輸出が多いなど日本との共通点も多く、ドイツの工業から学べることはたくさんあると考えました。
午前中は語学学校にてドイツ語の授業を受講し、主に午後にテーマの活動をしていました。
有名な車メーカーや製紙会社の工場見学、博物館でのアクティビティ参加、ドイツで育った人だけでなくドイツで仕事をしている日本人へのインタビューも行いました。
最終更新日:2024年06月21日 初回執筆日:2024年06月21日
語学力:
言語 | 留学前 | 留学後 | |
---|---|---|---|
ドイツ語 | 挨拶など基本的な会話ができるレベル | → | 挨拶など基本的な会話ができるレベル |
ドイツは工業国であり、ドイツの製品は品質がよく、ブランド力も高いので付加価値が非常に高いのも特徴です。車の輸出が多いなど日本との共通点も多く、ドイツの工業から学べることはたくさんあると考えました。
午前中は語学学校にてドイツ語の授業を受講し、主に午後にテーマの活動をしていました。
有名な車メーカーや製紙会社の工場見学、博物館でのアクティビティ参加、ドイツで育った人だけでなくドイツで仕事をしている日本人へのインタビューも行いました。
私の住む三重県は石油コンビナートや世界に向けた輸出を行う自動車工場があり、そのパーツなどを作る中小企業が非常に多い地域です。中小企業が元気になることは地方の活地方の活性化につながります。得意な分野では大企業に負けない技術力を持つ中小企業をさらによくするにはどうすればよいのか考え出したことがきっかけです。
ミュンヘンは移民社会でした。町にはケバブのお店がたくさんあり、ドイツ語以外の言葉もあちらこちらからも聞こえてきました。ドイツでは様々な国籍、人種、文化を持った人と生活をしました。考え方が大きく違うので食い違うことも多かったです。それも含めて違いを楽しむことを学びました。
決断力
留学中はすべて自分で決断する必要がありました。毎日が決断の連続です。時間は有限で、何かを選ばなければいけません。私は優柔不断なほうですが、留学を通して思い切りの良さが身につきました。
文化が異なると仕事へのスタンスや考え方が大きく異なることを学んだことで、国籍、人種、宗教の異なる人達が一つになって仕事をすることへの興味がわきました。将来様々な国の人と関わりながら研究や開発のできる仕事をしていきたいです。
2024年
3月~
2024年
3月
平日は午前中は語学学校に行き、午後に探究活動として工場見学や博物館でのアクティビティ参加、フィールドワークなどでミュンヘンの様々な場所に行きました。休日はミュンヘンの外の郊外に足を延ばしてみたり、アポイントメントをとった方にお会いしたりしました。夜は主に語学学校の宿題やそれ以外のドイツ語の勉強、ホストファミリーとドラマを見たり、散歩をしたり、ご飯を作ったりして過ごしていました。ホストファミリーとの時間はドイツの文化を肌で感じることのできる貴重な体験でした。
学費:納入総額 - 円 |
住居費:月額 - 円 |
生活費:月額 - 円 |
学費:納入総額 - 円 |
住居費:月額 - 円 |
生活費:月額 - 円 |
私はドイツで18歳の誕生日を迎えました。
私は誕生日当日、三つもケーキをプレゼントしてもらえました。
一つ目は友達から、二つ目は語学学校の先生から、三つめはホストファミリーからです。
ほかにもチョコレートなどももらって、その日だけで1㎏ぐらい太ったような気がします。
あんなにたくさんの人からお祝いしてもらえたのは初めてのことで、自分のことのように喜んでくれて本当にうれしかったです。
ホストマザーは誕生日以外にもたくさんケーキを焼いてくれて、そのどれもがすごくおいしかったです。
私が留学前に最も不安だったことは費用面です。
最初自分は、自分のアルバイト費用とトビタテの奨学金のみで留学することを計画していました。
しかし、円安が進み、留学の費用が想定よりも大きくなることがわかってきました。
留学を短縮するか、変更するか悩んでいることを両親に相談すると、留学資金を援助してくれることになりました。
最初は留学に否定的だった両親から援助をもらえたことで、この留学を絶対に有意義なものにするという決意を強くすることができました。
留学で最も支えになったのは身近な人たちのサポートでした。自分の熱意だけでなく、不安なことも共有することで、留学への不安はぐっと少なくなりました。
ドイツへの留学ガイドを見る