留学内容
大学での授業履修を中心に、都市部・農村部でのホームステイや入院生活も経験しました。授業については、南アフリカという国やその発展を複数の角度から見るために、所属学部の政治学・歴史学だけでなく他学部の労働経済学や農業開発の経済学などの授業もお願いして履修しました。また、現地で知り合った日本人研究者の方に紹介していただき、特に農村部でのホームステイ複数回や保健系NGO訪問なども行い、大学内だけではできない経験も積むことができました。
最終更新日:2017年05月19日 初回執筆日:2017年05月19日
語学力:
言語 | 留学前 | 留学後 | |
---|---|---|---|
英語 | 挨拶など基本的な会話ができるレベル<TOEIC 830点> | → | 授業や会議の内容が理解でき、必要な発言ができるレベル<TOEFL ibt 100点> |
大学での授業履修を中心に、都市部・農村部でのホームステイや入院生活も経験しました。授業については、南アフリカという国やその発展を複数の角度から見るために、所属学部の政治学・歴史学だけでなく他学部の労働経済学や農業開発の経済学などの授業もお願いして履修しました。また、現地で知り合った日本人研究者の方に紹介していただき、特に農村部でのホームステイ複数回や保健系NGO訪問なども行い、大学内だけではできない経験も積むことができました。
大学のゼミで途上国開発という分野に強い関心を抱き、未知の土地であったアフリカで生活したい、自分の目で見て感じたいという気持ちと、元々あった「留学への憧れ」から、「アフリカへの留学」を思い立ちました。交換留学先になかったため、学科の先生と繋がりのある南アフリカの大学を紹介してもらい、来日中の教授に直接頼み込み実現しました。
南アフリカの社会を「内側」から知ることで、社会の様々な問題の中で自分が最も強く問題意識を感じるものを探していましたが、結局日本では知らなかった・軽んじていたことなどをまざまざと見せつけられ、いまだ消化しきれていません。しかし言葉や文化が変わっても、日本で学んだことや鍛えられたことで勝負できる部分もあることに気づけたのは自信につながるとともに、今後の進路を考える上でも示唆を与えてくれました。
物事や価値観を相対化する力
あまりにも違う価値観や世界の見方を多く体験したため、何かの考えや価値観を絶対的に判断するのではなく、社会的背景などや他の意見や考えとの関係の中で捉え理解できるようになりました。特に、ルームメイトと(少々感情的になりながらも)散々議論したことは、「違い」をより深いところで見ることにつながったと思います。
「外部者」として別の国に関わるために、専門性をつける必要性を強く感じ、まずは大学院進学準備をしています。
2016年
2月~
2016年
11月
フリーステート大学での授業履修を中心に、都市部・農村部でのホームステイや入院生活も経験しました。授業については、南アフリカという国やその発展を複数の角度から見るために、所属学部の政治学・歴史学だけでなく他学部の労働経済学や農業開発の経済学などの授業もお願いして履修しました。また、現地で知り合った日本人研究者の方に紹介していただき、特に農村部でのホームステイ複数回や保健系NGO訪問なども行い、大学内だけではできない経験も積むことができました。滞在中、学生による学費値上げ反対プロテストが発生して計1か月以上のキャンパス閉鎖となり、社会不満が爆発する現状とある種の”パワー”も見せつけられました。
学費:納入総額 - 円 |
住居費:月額 - 円 |
生活費:月額 - 円 |
学費:納入総額 - 円 |
住居費:月額 - 円 |
生活費:月額 - 円 |
留学先の都市があまり大きくなかったこともありほとんど日本人がいませんでしたが、同じ大学で修士をされていたもう1人の日本人の方とそのご家族、またたまたま留学先で出会った日本人研究者の方(現地在住)などにはとてもお世話になりました。1,2か月に1度くらいのペースでしか基本は会っていなかったが、それぞれの立ち位置から見える南アフリカを共有したことで、南アフリカ社会への理解がグンと深まりました。また、現地でホームステイ先を紹介してもらえたことも大きかったです。僕自身が交通事故に遭った際は、各所への連絡や手続き、ほぼ毎日のお見舞いなど、自分の快復に集中できる環境を作ってもらえたことは感謝してもしきれません。その日本人研究者の方がおっしゃっていた、「南アフリカはその人の立ち位置次第で異なった姿に見え、同じ日本人でも、私は企業の駐在で来ている人とはあまり価値観や話が合わないことが多い。だから、こうして小さな都市で問題意識を共有できる日本人に会えたことは奇跡だ」という言葉がとても心に残っています。こんな素敵な出会いを与えてくれた南アフリカに感謝しています。
南アフリカでタウンシップ(旧黒人居住区)を訪れた際やホームステイをしていた時、多くの子どもたちに出会いました。みんなとても元気よく、好奇心旺盛。あまり日本では小さな子どもと接する機会がなかったため、子どもと触れ合う楽しさを知り、同時に育てる大変さも垣間見ることができました。”途上国”へ行った大学生が現地の子どもと撮った写真をよくあげることが定番化していると聞きますが、実際に直接触れ合ってみればその理由がわかるのではないでしょうか。少なくとも僕にはわかりました。
留学中は大学内の寮に住んでいましたが、2人でのシェアルームでした。最初のルームメイトがDJになるために大学を去った後入ってきたのが彼でした。心地いいクリック音を持つXhosa族出身の彼とは、散々(時には少々感情的に)議論しました。ちょうど関心が似ていたこともあり、年齢は彼の方が3つ下でしたがそんなことはお互い気にせず、政治や歴史などなど何かと話したことは鮮明に覚えています。大体彼とは意見がぶつかり合い軽い喧嘩のようになるわけですが、2,3時間すれば笑いあって一緒に料理しているようなそんな関係でした。僕が入院した際も繰り返しお見舞いにきてくれたことにも助けられました。今は海を挟んであっちとこっちですが、もっと頑張れねばと奮起させてくれる存在です。
大学への留学でしたが、家族にとっては南アフリカは”アフリカ”。私費留学だったため日本での所属大学が後ろに控えているわけでもありません。両親へ最初に留学希望を伝えたときは猛反対されました。エボラが~、テロが~とことある毎にアフリカなんてダメだというメッセージが届く日々。また祖父母も、もちろん反対。その時の言葉が印象に残っています。「人間には大事なものが2つある。1つは”安定”で、もう1つは”人と同じ”であることだ。」しかしどうしても行きたかったので、家族には内緒で奨学金も含め留学準備を進めました。何とかトビタテに合格し、奨学金を取ったことを伝えました。すると両親の反応も変化。ただの奨学金、されど奨学金。僕がきちんと計画しており、しかもそれが奨学金をもらえるものであること、しかも文科省が進めている「日本代表プログラム」、僕の「本気」を伝えるのにとても良いシグナルになりました。特にトビタテは文科省が政策として進めているので、詳しく留学奨学金事情を知らない層でも信頼度は高そうかなと思います。家族の説得材料として、トビタテ、おすすめです。