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小牧そら

出身・在学高校:
追手門学院高等学校
出身・在学校:
出身・在学学部学科:
在籍企業・組織:

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また、私の留学体験に興味がありましたら、ここに書ききれなかったことを全てnoteに載せているので、ぜひのぞきに来てください。


最終更新日:2025年10月14日 初回執筆日:2025年10月14日

アート×キャリア教育でラオスの孤児に夢を

留学テーマ・分野:
短期留学(3か月以内、語学・ボランティアなど各種研修含む)・海外ボランティア
留学先(所属・専攻 / 国 / 都市):
  • NPO法人Wisa
  • ラオス
  • ルアンパバーン・ビエンチャン・バンビエン・シェンクワン
留学期間:
2ヶ月
総費用:
850,000円 ・ 奨学金なし

語学力:

言語 留学前 留学後
英語 挨拶など基本的な会話ができるレベル<英検2級> 授業や会議の内容が理解でき、必要な発言ができるレベル<英検準1級>

留学内容

『ラオスの子供たちに夢を届ける、アート×キャリア教育の授業を提供する!』というテーマでボランティアを行った。
留学内容を具体的に説明すると、NPO法人Wisaのラオス孤児支援・教育開発ボランティアにおいて、2か月間ラオスに滞在し、自分の「過去」「今」「未来」「将来の夢」というテーマで絵を描くという内容の授業を自分でデザインして、現地の公立孤児学校などにおいて教育支援を行った。結果としては、小学生〜中学生の子供たち50人に授業を提供することができ、授業の改善点や「支援」に対する途上国との価値観の違いに気づくことができた。また、絵に表される要素の違いによって現地の価値観や文化、作者の物の見え方などが考察できるということを発見し、分析することで見えてくるアートの可能性を探究した。主な活動はアートの授業をすることだったが、現地の活動拠点やオンライン上で定期的に日本語教室を開催したり、カレーの炊き込みや日本文化に触れられるようなレクリエーションを行うことで、ラオス人のキャリアアップや日本との交流を促すとともに、子どもたちの学びと成長を支える活動を行った。

留学の動機

「引っ込み思案な自分を変える」と決意し、高校生で初めて海外へ行った。日本を出て文化や価値観の全く違う土地で新しい体験をすることの楽しさを知り、トビタテに応募した。もともと人の成長や希望を支えられるような支援に興味があり、実際に途上国に行って支援の現場に触れたいと思った。また、子供達にそれぞれの未来について考える機会を与えることで、彼らがそれに向かって行動を起こしてほしいという思いがあった。

成果

子どもたちの絵には、自然や家族など身近なものへの愛着が表れていた。アートで価値観の違いを考察することが可能だと発見した。一方、「将来の夢」を描く授業では、教師や農家、兵士など限られた職業しか描かれず、想像力は身の回りを超えないのだと感じた。善意で持ち込んだ授業が彼らを傷つけかねないという恐れから、支援における「寄り添うこと」の難しさを痛感し、自分の理想と彼らの現実との間にある認識の差を実感した。

ついた力

つながる力

エピソードの欄で言語が通じなくても、アートの力を借りたり、自分がコミュニケーションをしたいという思いを相手に感じてもらえば交流ができたという成功体験を重ねて、文化の違う土地でもお互いが通じ合いたいという思いがあれば、人々と繋がることができる力が身についた。異国の人間に安心感を持ってもらうためには、少しずつではあるがまずは小さいことから行動に示し、相手に誠意を伝えることが必要だと思う。

今後の展望

この経験から、支援とは一方的に与えるのではなく、文化や価値観を尊重しながら共に形づくる営みだと考えるようになった。そのためには責任と倫理の自覚、相手の語りを聞く姿勢、状況に応じて方法を再設計する柔軟さが必要だ。今後は、その経験を基に改善した授業を国内外で実践し、現地の人々に寄り添う教育支援や「幸せ」の多様な形を探究したい。また、絵や音楽などアートを通じて人々と繋がる活動を続けていきたい。

留学スケジュール

2024年
7月~
2024年
9月

ラオス・セルビア(ルアンパバーン)

探究内容については留学内容にとことん書いたので、ラオスでの生活や魅力について記していく。
私が活動拠点にしたルアンパバーンは、街全体が世界遺産に登録されている都市で、旅人界隈では「東南アジア最後の秘境」とも呼ばれている。メコン川の流れるその街は、赤い屋根の家屋と、美しい自然、歴史のある寺院が見事に融合している。食べ物やお土産の並ぶナイトマーケット、朝の托鉢体験、安価なマッサージなどを楽しめる。道沿いの小さな半家屋で手織りの織物を作っている様子がよく見られる。ハンドメイド製品が並ぶ店内も工夫が凝らされていて美しい。留学中、「世界一何もない首都」と呼ばれるラオスの首都ビエンチャンや、自然を楽しむ観光アクティビティが溢れる都市バンビエン、不発弾など、ベトナム戦争による傷跡が遺る地域シェンクワンなど、他の都市にも訪れたが、ルアンパバーンは自分が一番好きな街だと感じた。乾季・雨季があり、気候は普通に日本くらい暑い。渡航したのが雨季だったので、急に雨に降られたり雷がひどい時もある。

食べ物については、チリや薬草が入っているため辛いものが多いが、日本人の口に合っていてとても美味しい。もち米が主食で、竹籠に入ったもち米を手に取って食べるスタイル。それをほぼ毎日食べていたおかげか、自分は日本食が恋しくなることはなかった。コーヒー栽培も盛んなので、観光客向けのおしゃれなカフェがたくさん街に並んでいる。元々フランスの植民地だったため、パンも美味しい。私のお気に入りのご飯は、カオピャック(米粉でできた麺料理)、シンダート(焼肉と鍋が融合したもの)、ラープ(ひき肉炒め)、パパイヤサラダ。物価は日本より若干安いくらいでほとんど変わらないが、フルーツだけは激安。マンゴー1個が100円なので、毎日食べていた。

途上国のわりに治安が良く、渡航中のトラブルはほとんど自分のミスだった。街中にトイレが少なかったり、村の中に置き水と穴しかないトイレしかない時は困った。人口が少ないので交通渋滞もなく道路も静か。都市部のインフラはほとんど問題なく、道路も整備されている。ただ、農村部に行くと環境がガラッと変わり、未整備で水たまりだらけの道路になる。中国鉄道の開通など、急速に開発が進んでいるが、意外なことに人々は街の発展に対してあまり肯定的ではないらしく、自然のある生活を求めてわざわざ農村に移住する人もいる。一方で、農村部の貧しい若者がやむなく都市部へ稼ぎにくることも多い。あとは、自分の滞在する場所でダニが大量発生し、家の中や自分の足がひどい状態になった時があった。毎日のルーティンとしてダニをろうそくで焼く作業をしていた。

ラオスは多民族国家で、同じラオスに住んでいても母語が違うことが多い。(ラオ族と、その他諸々の民族って感じで、「ラオ達」→Laosになったらしい。)みんながまず公用語としてのラオス語を学ぶので、英語が話せる人が少ないのがすごく困った。そういう言語の壁はジェスチャーやカタコトのラオス語、翻訳機で乗り切った。向こうもそれを理解しようと努力してくれる優しい人が多い。共食文化という、一緒に食卓を囲み食べ物を共有する文化がある。近くに居れば知らない人だろうが誰でも呼んできて、一緒に食べ物を食べる。ゆるい生活スタイルで、穏やかで謙虚な人が多い。

費用詳細

学費:納入総額

- 円

住居費:月額

30,000 円

生活費:月額

180,000 円

ルアンパバーン中心部で撮影
ルアンパバーンにある寺院ワット・シェントーン
農村で振る舞われたラオス料理。もち米やパパイヤサラダなど。
費用詳細

学費:納入総額

- 円

住居費:月額

30,000 円

生活費:月額

180,000 円

スペシャルエピソード

笑いあり、涙あり!留学中にあった、すごいエピソード

ラオスでは英語を話せない人が多いが、それでもフィーリングで通じ合える瞬間が何度もあった。言葉が通じなくても、心が通じるのだと実感した。

ある日、歩いていると、道沿いの織物店で手織りの布を作っている女の人を偶然目にした。慣れた手つきで織物をどんどん織っていく姿がとても美しく、思わず立ち止まって見入ってしまった。彼女は私に気づくと、笑顔で手招きし、機織り機に座らせて実際に織らせてくれた。もちろん使い方など何も知らなかったが、ジェスチャーや片言の英語・ラオス語を交えながら、少しずつ織ることができた。どこの国の誰かも分からない私に優しく教えてくれた彼女の温かさに感動し、作品を一枚購入した。それをスカートに仕立て、孤児院や寺院を訪れるときに身につけたが、とてもお気に入りの衣装になった。

また、首都ビエンチャンのスターバックスで休憩していたとき、偶然隣に座った人と話が弾み、一緒に食事をすることになったこともある。国籍の異なる4人が集まり、言葉は完全には通じなかったが、翻訳機を使いながら笑い合い、穏やかで楽しい時間を共有できた。

機織りの女の人と購入した織物と撮影した。
シンダートという料理を4人で囲む。
お互いの言語で愛のメッセージを書き合う会(笑)

留学中に、自分を勇気づけてくれたモノ・コト

言葉が通じない相手に感謝の気持ちを伝えたいとき、また出会った人に何かお礼をしたいとき、私が思いついたのは「自分で描いたイラスト」だった。

ルアンパバーンの中心部に、私のお気に入りのハンドメイドショップがある。店内には私好みの製品が並び、それらはすべて一人の女性が手作りしたものだった。何度か通ううちに顔を覚えてくれたそのお姉さんが、翻訳機を通して「あなたのためにブレスレットを作るね。何色がいい?」と話しかけてくれた。数日後に再び訪れると、私の好きな緑色のかわいらしいブレスレットを、無償でプレゼントしてくれた。私はお礼に、お姉さんの似顔絵と店の製品を描いたイラストを贈った。とても喜んでくれて、「またラオスに来たら会いに来てね」と言ってくれたことが忘れられない。

また、滞在中にバイクから転倒して足にひどい擦り傷を負ったことがある。そのとき周囲の人たちが助けてくれ、言葉が通じない中でも病院まで連れて行ってくれた。「大丈夫、大丈夫」と励ましながら、一緒に包帯を買いに行き、ご飯まで食べに連れて行ってくれた。その人にも感謝の気持ちを込めて、「ありがとう」というメッセージと似顔絵を描いて贈った。

言葉が通じなくても、心が通じ合う瞬間がある。そんな温かいやりとりの数々を思い出すと、今でも胸がじんわりと温かくなる。そんなお礼を自分の「得意」でお返しできたことがすごく誇りになった。

実際にお礼として贈ったイラストたち
見たことのないフルーツの並ぶローカルな店
現地の僧に托鉢体験

この国のことが、とても好きになった瞬間

ラオスは社会主義の国であり、外部から教育支援に入ることには慎重な姿勢をとる人も多い。そのため、私も孤児院で授業を行いたいと申し出る際には、拒まれるかもしれないという覚悟を持って臨んだ。言葉が通じないため、通訳を介して校長先生に自分の思いを伝えた。授業の内容や目的、そして子どもたちに夢を持ってほしいという願いを懸命に説明すると、校長先生は「あなたの心はきれいだ。本当にありがたいです」と優しく受け入れてくださった。別れの際には、「進んで支援してくれる姿勢に感動しました。あなたは私の子どものように思えます。次に会うときまでに日本語を勉強しますね」と言ってくださった。校長先生の愛情深さと柔軟さに支えられ、この留学が成功したのだと、今でも深く感謝している。

公立の孤児院で実際に授業を行っている時に撮影
孤児院の校長とのツーショット。プレゼントした絵を持っている。
孤児院とはまた別の場所で授業をする様子

全く知らない言語(ラオス語)に囲まれた環境でも、なんとかやっていける。

  • 語学力 : その他の言語

ラオスでは英語が通じるというふうに聞いていたが、いざ現地に行ってみると英語が話せない人の方が多かった。少しだけ渡航前にラオス語は勉強していたが、ラオス語がマイナーすぎる言語のせいで手段が限られて、全然勉強が進まなかった。いざそういう人たちと話すとなると、ジェスチャーや翻訳機などを使ってなんとか意思疎通ができたが、もっと現地の雰囲気を感じるためにはもう少しラオス語を勉強して、簡単な日常会話だけでも覚えられたらもっと現地の人との交流ができたのにと少し後悔している。

留学を勧める・勧めない理由

人の目が気にならないので、チャレンジしようという気になれる。
実際に現地に行くと、ネットではわからないそこでの雰囲気やよさが感じられる。
予想外のハプニングが体験できる。思考の幅や知識、興味が広くなる。話のネタができる。
困難に直面する中で自分の強みや武器がわかる。冷静に問題を対処する能力、柔軟な思考などが鍛えられる。
繋がりが増える、意外と日本人とも
国外に居場所が一つ増える。

これから留学へ行く人へのメッセージ

渡航前の私はラオスについての知識もなく、勝手にラオスは遠い国だ、無縁だ、というふうに決めつけていた。あなたもそういう限界を無意識に決めてしまっているかもしれない。
世界はあなたが思っているより、せまい。決して日本と外は切り離されているわけではなく、今の社会はそれぞれの国が複雑に絡み合って成り立っている。やっぱり世界は広くて知らないことばかりだ。だからこそ、その境界を怖がらないで飛び立ってほしい。