留学内容
私は、フィジーで5週間はマーティンターにある幼稚園で先生の補助、2週間はブラタンブという村のホリデースクールで先生としてボランティアをしました。幼稚園では3~5歳の子どもたちに、主にお絵描きや折り紙、文字の書き方などを教えました。ホリデースクールでは3~8歳の子どもたちに英語、算数、図画工作、体育を教えました。平日はボランティアをして、休日は現地のNGOを訪問したり、観光や村を訪れたりしてフィジーの文化を学びました。
最終更新日:2020年06月09日 初回執筆日:2020年06月09日
語学力:
言語 | 留学前 | 留学後 | |
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英語 | 生活に困らない程度の日常会話ができるレベル<英検2級> | → | 授業や会議の内容が理解でき、必要な発言ができるレベル |
私は、フィジーで5週間はマーティンターにある幼稚園で先生の補助、2週間はブラタンブという村のホリデースクールで先生としてボランティアをしました。幼稚園では3~5歳の子どもたちに、主にお絵描きや折り紙、文字の書き方などを教えました。ホリデースクールでは3~8歳の子どもたちに英語、算数、図画工作、体育を教えました。平日はボランティアをして、休日は現地のNGOを訪問したり、観光や村を訪れたりしてフィジーの文化を学びました。
私の将来の夢は、「すべての子どもたちが可能性を広げられる世界をつくること」です。特に、私は教育で子どもたちの可能性を広げたいと思っています。ですが、夢が抽象的すぎて実現できるはずもないと思い、実際にボランティアをしてみて、教育の現場で本当に必要とされている支援は何なのか、私には何ができるのかを見極めて、夢を具体的にし、夢から目標へ変えたいと思い留学を志しました。
実際にボランティアをしていく中で、道徳教育の大切さ、宗教の道徳教育における重要性を知ることが出来ました。また、フィジーの文化を体験する中で、「物がたくさんあることが必ずしも幸せではない」と気づくことが出来ました。
挑戦力
留学したての頃は、言語の壁だけでなく会話の進め方の違いに慣れず、なかなか会話に参加することが出来ませんでした。でも、他のボランティアの人の助けのおかげで、失敗してもいいからとにかく頑張ろうと思い最終的に英語で会話をするのが苦にならないほどになりました。また、授業をする際も物がないとか現状を嘆くのではなく、今、私にできる精いっぱいのことをしようと考え内容を工夫することが出来るようになりました。
今後は、大学で宗教について学び、宗教が理由で差別されていたり、学校へ行けていない子どもたちのための解決策を考えたいと思っています。そして、今回の留学で学んだフィジーの幸福論を多くの人に伝えたいです。
2017年
7月~
2017年
8月
フィジーの幼稚園とホリデースクールでボランティアをしました。幼稚園で衛生教育や読み書きを教えながら、ホームステイをしたり、村を訪れてフィジーの文化を体験しました。フィジーの家庭では、テレビがあってもトースターがなかったり、最新のスマートフォンを持っていてもシャワーが水しか出なかったりというところばかりでしたが、足りないものはみんなで”Kerekere(ケレケレ)”と言って貸し合っていました。自分に本当に必要なものが何か分かっていて、それ以上は欲しがらない、新しいものを求めて大量消費する生活よりよっぽど幸せな生活の仕方だと感じました。
学費:納入総額 - 円 |
住居費:月額 - 円 |
生活費:月額 - 円 |
学費:納入総額 - 円 |
住居費:月額 - 円 |
生活費:月額 - 円 |
私がお世話になったのは、コーディネーターです。彼女は私のことをいつも気にかけてくれて、幼稚園でのボランティアのことだけでなく、日常生活や、NGOを訪問する際も英語があまり上手でない私を助けてくれました。私が、熱を出したときにお寿司を買ってきてくれたことは病気でホームシックになりかけていた私にとってすごく力になりました。留学最後の日に一緒に映画を見たことは忘れられません。
私が、留学に行って強く感じたことは、会話の進め方の違いです。日本では、ひとりの人が話し終わるのを待ってから次の人が話し始めるというように順番に話をしていき、相槌を打って話を聞いているということを示すのに重きが置かれると思います。でも、フィジーでは、話し始めた話題に対して、同時に何人かが意見を述べ議論するという感じでした。始めは入るタイミングがつかめず、ただ聞いているだけになってしまっていました。でも、あるボランティアの人が私の話をゆっくりと聞いてくれて、会話に入るためのアドバイスをくれて、だんだんと入れるようになっていきました。英語は実際に使っていって初めて物になるんだなと思いました。