留学内容
イタリアを拠点として建築を見て学びたい、そして卒論でテーマにした水族館についてヨーロッパでも実地調査をしてみたいという2本立てで1年間の留学をしてきました。
ミラノ工科大学の大学院では、多国籍な学生からなるスタジオ形式の授業を履修していました。日本人は常に自分1人で、レバノン人やイタリア人や中国人のチームメイトと時には喧嘩をしながらアイデアをぶつけ合って設計を進めました。
水族館ではゆっくりと時間をかけて館内を歩き、実測・スケッチ・撮影によって水槽の記録をしていました。
最終更新日:2018年10月02日 初回執筆日:2018年10月02日
語学力:
言語 | 留学前 | 留学後 | |
---|---|---|---|
英語 | 生活に困らない程度の日常会話ができるレベル<TOEFL 80> | → | 授業や会議の内容が理解でき、必要な発言ができるレベル |
イタリアを拠点として建築を見て学びたい、そして卒論でテーマにした水族館についてヨーロッパでも実地調査をしてみたいという2本立てで1年間の留学をしてきました。
ミラノ工科大学の大学院では、多国籍な学生からなるスタジオ形式の授業を履修していました。日本人は常に自分1人で、レバノン人やイタリア人や中国人のチームメイトと時には喧嘩をしながらアイデアをぶつけ合って設計を進めました。
水族館ではゆっくりと時間をかけて館内を歩き、実測・スケッチ・撮影によって水槽の記録をしていました。
卒業制作で建築の改修やリノベーションに関心をもったため、歴史ある建築の再利用や保存に力を入れている国で学びたいと考えていました。また、卒業論文で中国の水族館を対象にしていたことで現存最古の水族館を有するイタリアに行ってみたいと思い、この2つを理由にミラノを選びました。
ミラノ工科大学のスタジオの履修者と教授で北欧の建築を訪れた際には、クラスで仲を深めながら訪問先の建築について思ったことを共有することが出来ました。
水族館を訪問している中で、リスボンの水族館では特別展の水槽を設計している事務所の方に偶然お話を聞くことができ、とても有意義でした。
自力で考えて試行錯誤する力
言葉・常識が全く異なる環境の中で、どうすれば自分の抱えている問題を解決できるか考え、乗り越えるために行動する必要に迫られたことで、選択肢を自分で増やして主体的に行動できるようになった。
日本だけに限らず、国外でのプロジェクトにも関わっていけたらと思っています。
2017年
9月~
2018年
7月
ミラノ工科大学の大学院にて、建築の意匠設計・ランドスケープデザインのスタジオを受講しました。
意匠設計のスタジオでは、ミラノの街中にある既存の幼稚園の再設計の課題に取り組みました。周囲の建物のファサードに馴染む立面を強く意識した設計が求められ、教授やアシスタント、グループのメンバーと何度も敷地に足を運んで議論しながら設計していきました。
ランドスケープデザインは座学と演習のどちらの側面も強く、また演習の提出物が動画のみという新鮮な授業でした。これらの履修していた授業以外にも、友人に誘われて最終講評に参加させてもらったり、聴講させてもらったりもしていました。
学費:納入総額 500,000 円 |
住居費:月額 800,000 円 |
生活費:月額 500,000 円 |
項目:旅行・調査 300,000 円 |
学費:納入総額 500,000 円 |
住居費:月額 800,000 円 |
生活費:月額 500,000 円 |
項目:旅行・調査 300,000 円 |
イタリアではコーヒーが1杯150円ほどと安いため、大学の課題をカフェに持ち込んで作業していることが多かったのですが、ある時お気に入りのカフェでスマートフォンを盗まれてしまいました。顔なじみだった店員さんはすぐにアドバイスしてくれたうえ、盗難事件以降は彼女以外の店員さんも来店時に気にかけてくれるようにな理ました。帰国前にはそのカフェのほぼ全員の店員さんと仲良くなり、ご飯に行ったり、一緒に買い物に行くような仲になりました。帰国後も連絡を取り合っています。
盗難に遭ったのはとんだ災難でしたが、「カフェの店内で携帯電話を盗まれた間抜けなアジア人」ということで友人をたくさん作ることができ、結果的には生活の支えになりました。
渡航直後に、履修しているスタジオのスクールトリップが予定されていました。
イタリアから国外に出る際には滞在許可証がないと空港などで捕まってしまい、出入国できなくなる可能性があったのですが、まだ滞在許可証が発行されていなかったためどうすればその旅行に参加できるか必死で模索することになりました。他の国からの留学生や、日本人学生、インターネット、ミラノにある日本国総領事、移民局に様々な手段で問い合わせました。特に、滞在許可証を発行する機関である移民局には毎日のように足を運び、ろくに喋れないイタリア語や翻訳ツールを使いながら職員の方と交渉し、臨時の滞在許可証を発行してもらう一歩手前まで手続きを進めました。職員の方もイレギュラーな手続きには慣れておらず、基本的に余計なことはしたくないのでなかなか手続きを進めようとしてくれなかったので、最初は戸惑いました。粘り強く交渉する中で、時には声を荒げたりしないと向こうの人も本気で動いてくれないと知り、強く主張する重要性を痛感しました。
結局、最後の最後で臨時の滞在許可証はどうしても新規では発行できないと言われ、なくても出入国できるという職員の説明に屈してしまったのですが、できる限りのことはしたと思っています。無事スクールトリップには参加し、イタリアを出て戻ってこれたので良かったです。
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