留学内容
文化、地理、教育の面から海洋問題の原因について考え、フィジーにあった海洋問題対策を考えました。また、インド系の家族のもとにホームステイをさせていただき刺激的な日々を過ごす中で、日本との文化の違いを再認識し、異文化を受け入れる考え方の柔軟性や対応力、自分がやりたいことを自分自身で計画して進めていく行動力がついたと思います。
最終更新日:2024年12月02日 初回執筆日:2024年12月02日
語学力:
言語 | 留学前 | 留学後 | |
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英語 | 挨拶など基本的な会話ができるレベル<英検2級> | → | 生活に困らない程度の日常会話ができるレベル<英検2級> |
文化、地理、教育の面から海洋問題の原因について考え、フィジーにあった海洋問題対策を考えました。また、インド系の家族のもとにホームステイをさせていただき刺激的な日々を過ごす中で、日本との文化の違いを再認識し、異文化を受け入れる考え方の柔軟性や対応力、自分がやりたいことを自分自身で計画して進めていく行動力がついたと思います。
もともと海外に興味があり、新しい生活をしてみたいという思いがありました。しかし、留学に向けて何から始めたらいいのか分からず行動できずにいました。そんなとき、学校で留学した先輩の体験談を聞く機会があり、このことをきっかけに留学への興味が増し、まずはトビタテに応募してみようと思いました。語学だけでなく自分が大好きな海になにか貢献したいと思い海洋汚染をテーマに留学を決意しました。
基本的に海洋汚染についての調査は一人でやっていたのですが、同じフィジーの学校に留学している日本人留学生が主体となって活動してるボランティア団体に所属して街のゴミ拾い活動に参加することができました。街のゴミ拾いをすることで海に流れるゴミを減らすことに繋がるだけでなくフィジーの方との関わりを深めることができました。
チャレンジ力
留学当初は何をするにも緊張してしまい、ホストマザーに話しかけることさえも自分の中では一つの挑戦でした。会話の話題を考えたり、イメージしたりと話しかけるために準備をしても不安で話しかけられないことが何度もありました。会話の他にもタクシーに乗ることや買い物に行くことなど、毎日小さな挑戦がたくさんあり、その度に思い切って一歩を踏み出してみると以外とどうにかなることばかりで、自身に繋がりました。
明確な職業は決まっていませんが、留学を経て海外で働いてみたいという思うようになりました。新しい環境や、いろいろな考えを持った人との関わりを大切に自分自身を広げて行きます。
2024年
1月~
2024年
5月
私は、海洋汚染の原因について調査するためフィジーのラウトカというフィジーで三番目に大きい街で3ヶ月半ホームステイをしていました。ホームステイ先はインド系の家族で毎晩、インドのカレーやスープなどを作ってくれとても美味しかったです。平日はフィジーのバ・プロ高校に通い、英語の授業以外はローカルの生徒といっしょに英語で授業を受けていました。フィジーの生徒はとにかくフィレンドリーで元気で初めて授業に参加した日から話しかけてくれ、遊びに誘ってくれるなど英語を使ってコミュニケーションをすることが楽しくなりました。学校の授業は3時くらいに終わるため、放課後は門限の7時までタクシーで10
分くらいのタウンと言う街で一番栄えている場所に遊びに行く生徒も多かったです。休日は、友達と遊んだり、海洋汚染の調査をしていました。友達とはタウンに買い物に行ったり、映画を見に行ったり、学校の近くの川に行ったりフィジーの観光地に行ったりしました。学校の近くの川にはローカルの生徒もよく遊びに来ていて、初対面の人でもみんなで一緒に遊んでいました。フィジーでしかできない体験も多く、貴重な体験でした。海洋汚染の調査はタウンのポイ捨てされたゴミの様子や、フィジーの本島の海岸線の様子と船で10分ほどの離島の海岸線の様子の違いを比較しました。また、同じ学校に通っている日本人留学生が運営しているボランティア団体に所属し、街のゴミ拾い活動に参加しました。このゴミ拾い活動を通して現地の人に感謝の言葉をかけてもらえたり、一緒にゴミ拾いをしてくれたりと関わりを深められたことに感動しました。3ヶ月半という短い間でしたが自分自身で行動に移す勇気や新しいことに感動できる感性を養えたと思います。
学費:納入総額 - 円 |
住居費:月額 - 円 |
生活費:月額 - 円 |
学費:納入総額 - 円 |
住居費:月額 - 円 |
生活費:月額 - 円 |
休日のある日に海岸線沿いで友達とピクニックをしていたときに、ダンスを踊っているフィジアンの人たちがいました。ゆっくりとした踊りでフィジーののどかな雰囲気とマッチしていて、しばらく遠くからその踊りを見ていました。すると、私達に気付いた一人が私達をダンスに誘ってくれ、その後二時間ほど話したり、ダンスをしたりしながら過ごしていると次の日の協会でのダンス発表に誘ってくれました。まさか、その日あったばかりの私達を大切な協会の発表に誘ってくれると思わず、とにかく嬉しかったです。そして翌日、協会に送っていってくれるはずのマークは二時間ほど遅刻して来てくれましたが、しっかりと協会まで送っていってくれました。フィジーの協会に一度行ってみたいと思っていた私にとって、その日目にしたことすべてが新鮮で刺激的でした。ダンスの練習に温かく迎え入れてくれるフレンドリーな性格や少し時間にルーズなほのぼのとした国民性を感じられる最高の体験でした。
私のホストファミリーはマザー、ファザー、シスターの3人家族でした。シスターは私よりも3歳年下でかなりシャイで、留学初日もあまり話してくれませんでした。そこで日本から持ってきた日本のお菓子をプレゼントして、少しでも話ができないかと計画しました。そして、思い切ってお菓子をプレゼントしてみたところ、なんと、シスターは歯の矯正をしていて、お菓子が食べられないと言われてしまいました。その後も諦めることなく、一緒に映画を見てみたり、話しかけて見たりしたのですが結局最後まで仲が良いと言えるほど距離を縮めることはできませんでした。なかなか距離を縮めることができない中で、同じ学校の日本人留学生がホストファミリーやシスターと仲良くしている話を聞くと羨ましく思うことやもっと親しくしてくれるホストファミリーだったらいいのにと思ってしまうことがありました。しかし、思い返してみれば全てが思い通りに行くばかりの留学ではなく、こうして、どうにかシスターと仲良くなろうと自分なりに試行錯誤した留学のほうが今後の糧になるのではないかと思います。