留学内容
私は留学期間中、中国の北京と南京で、「フリーハグ」という活動に特に力を入れた。一年間かけて中国人とハグし続け、1000人以上の中国人とハグをした。90歳を超えるおばあちゃんに怒られたり、日本人だからという理由で差別されたり悔しい思いも沢山したが、それ以上に、面と向かって話し、分かり合う喜びを感じた。国は違えど、僕らは同じ人間なのだ。違いを乗り越えるには、まずは現地に行く勇気が大切である。
最終更新日:2020年06月10日 初回執筆日:2020年06月10日
語学力:
言語 | 留学前 | 留学後 | |
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中国語 | 挨拶など基本的な会話ができるレベル<ニーハオ、シェイシェイ程度 聞き取りは皆無> | → | 生活に困らない程度の日常会話ができるレベル<HSK6級> |
私は留学期間中、中国の北京と南京で、「フリーハグ」という活動に特に力を入れた。一年間かけて中国人とハグし続け、1000人以上の中国人とハグをした。90歳を超えるおばあちゃんに怒られたり、日本人だからという理由で差別されたり悔しい思いも沢山したが、それ以上に、面と向かって話し、分かり合う喜びを感じた。国は違えど、僕らは同じ人間なのだ。違いを乗り越えるには、まずは現地に行く勇気が大切である。
大学二年の夏初めて中国に行った。今では考えられないが、中国へ行くことは恐怖だった。保守的な田舎で育ち、ネガティブなイメージの強かった中国。しかし、実際に行かなければと、勇気を持って飛び込んだ。すると、そこにいたのは、私のイメージとは全く異なるリアルな中国人だった。テレビで見る曖昧な中国人のイメージは消え去った。もっと中国に浸からなきゃわからないと直感的に思い、長期留学を決意しました。
留学した成果はすぐに出るものだけではないと思う。もちろん、語学やスキルも成果ではあるが、後から効いてくるくるものもある。帰国から一年が過ぎ、就職活動や日々の活動を過ごしていく中で、留学でした様々な経験や出会いが後から繋がってくると感じる。自分の生き方や考え方に大きな影響を与えた留学であった。すぐには返せないかもしれませんが、これから社会に還元していきたい。
生命力
田舎の保守的環境で育った私が、自分と違う環境に適応できるようになった。高校生の自分からとても考えられない。
今後は、その適応力と、健康な体と好奇心を、生かして、どんどん飛び込んでいきたい。
留学期間中、様々な出会いや学びがあった。その中で、民間交流の重要性を痛感した。帰国後、フリーハグのように、将来は国と国とを繋ぐ仕事がしたいと思い、就職活動を行ったた。そして、来春から商社マンとして働くことが決まった。ビジネスを通して、国と国とを繋いで、友好関係を築いて行くことは、まさに私がやりたかったことである。留学を通して得た学びや経験を生かして、国と国を繋げられる一人前の商社マンになりたい。
2015年
9月~
2016年
7月
・北京大学留学
・北京と南京で、中国人1000人とフリーハグ
・山形県ハルビン事務所インターン
・上海博報堂インターン
・南京手話活動
・北京JTBの企画で、中国人と故郷東北へ行き、観光プラン作成
学費:納入総額 - 円 |
住居費:月額 - 円 |
生活費:月額 - 円 |
学費:納入総額 - 円 |
住居費:月額 - 円 |
生活費:月額 - 円 |
フリーハグでの経験だ。南京でフリーハグを行った時、一人のおじさんに出会った。彼に言われたことが、就職を決める上で大きな決め手になった。
「日本と中国は、大国と大国だ。政府同士が仲良くするのは難しい。けれど、君のような民間交流は絶対に絶やしてはいけない。頑張れ」と言われ、ハグされた。感動した。将来は、民間交流を通じて国と国との友好関係を作るのに貢献したいと決意し、商社を目指した。来年から、商社で働く。あのおじさんに言われたことが後から絶対効いてくる。頑張っていきたい。
ルームメイトのビントン君。
ルームメイト。彼とは一年間ルームメイトだった。困った時は何度も助けてもらった。けれど、それだけではい。JTBの企画をきっかけに、グンと仲良くなった。その企画は、東北を訪問してその魅力を掘り出して、観光プランを作るものだ。私は、ルームメイトと、故郷山形に行くことに決まった。とにかく、彼に山形を好きになってもらおうと、持てる知識やコネを使って山形を案内した。ユネスコにも日本で唯一認められた山形の食文化を存分に堪能してもらった。彼は山形を好きになった。そんな彼が、今度は彼の故郷へ招待してくれた。彼の故郷は、中国のお札にも描かれる絶景の、桂林だ。帰国直前、桂林をおとづれた。彼が案内してくれる桂林は最高に楽しかった。そんな彼は、私のフリーハグの活動を陰ながら応援してくれていた。そんな彼と、最後、駅で別れる時、ハグをした。その時。「ベストフレンド」と言ってもらえた。感動で涙が出そうであった。そんな親友とは今でも繋がっていている。
クリーニング店のおばちゃん。彼女と出会ったのは留学3日目。ひょんな事から気に入ってもらた。最初は全く言葉が通じなかったが、おばちゃんのお店に毎日のように通った。しかし、彼女は、日本のことが嫌いであった。僕のフリーハグの活動も最初は冷ややかに見ていた。けれど、毎日フリーハグに行く私を見て、いつしか応援してくれるようになった。私は、この時あることを決めていた。おばちゃんは、私が風邪をひた時は、お店でおかゆを作ってくれた。彼女は、よく店で料理するのだが、その度につまみ食いさせてくれた。私も、旅行に行ったら、必ず彼女にお土産を買って行くようになった。誕生日も祝ってくれたのもおばちゃんだった。おばちゃんは、私のことを息子のように可愛がってくれた。私も母のように慕った。
私は留学最後の一ヶ月は上海でのインターンだったので、北京を離れ上海へ向かった。帰国は北京空港からなのでおばちゃんにはまた会えると思っていた。しかし、店がなくなることがわかった。留学最終日、北京へ戻った。会えるか分からなかったが、お店に行くと、彼女は最後の片付けをしていた。ここで、最後の別れをし、そしてずっと決めていたことをした。それは、最後のフリーハグはおばちゃんとするということだ。反日だった彼女が、日本人の僕を一人の人間として可愛がってくれ、最後、ハグしたことは感慨深かった。中国にまた戻ってくることを誓い、日本へ帰国した。
言語は必要に迫れられば身につけられます。留学2日目、ATMにカードを吸い込まれ、お金が引き出せなくなりました。お店に入っても、店員さんに何も頼めない、てかそもそも店員さん呼べない、そんな散々な状況でした。さすがにやばいと思い勉強しました。最初は、漢字を全部覚えようとしましたが、効率が悪すぎました。やめましょう。それより、必要な言い回しを覚えました。スマホのメモに入れておきました。そして、その場ですぐ使うのです。地道ですが、ある時を境に上達します。あとは、沢山話して、悔しい思いをいっぱいすることです。せっかくかわいい子がいても、言葉のせいで仲良くなれなかったら悔しいじゃないですか。肝心なのは、必要性を痛感することです。大学1年生の中国語の単位を、必要性を感じず落とした僕が言うので、割と説得力ありあますよね。必要性を痛感した瞬間に皆さんの勝利です。
そう言う僕も日々、精進中です。継続が大切です。
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